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宮澤淳一『グレン・グールド論』(春秋社)

 「三十一歳で演奏舞台から引退し、以後、五十歳で他界するまで、スタジオを仕事の場とし、電子機器を駆使した編集作業によって、妥協を許さぬ演奏をレコードや放送番組の形で発表し続けた、みずから『孤独』を選んだと評される芸術家〔ピアニスト〕」――グレン・グールド。本書は、日本のグールド研究の第一人者による初の本格的な研究書である。

 宮澤は、以下の三つにテーマを絞って論じている。まず、電子時代の音楽やレコーディングの将来について論じたグールドの「音楽メディア論」。グールドがコンサート活動からの引退を宣言する1964年を起点として、その後グールドのメディア論が現実的な諸問題とぶつかり、どのような変遷をたどることになったのかを年代順に検証している。

 次に、グールドのデビュー・アルバムであり、亡くなる前年に再録音された≪ゴルトベルク変奏曲≫(グールドはバッハのスペシャリストと見なされており、特にこのレコードに対する評価が高い)が取りあげられ、グールドのバッハ作品に対するアプローチの成熟が語られる。また、グールドとジャズとの関係についても触れられており(「クラシックの演奏家の中でなぜグールドだけが突出して取り沙汰されるのか?」)、興味深い。

 最後に、グールドのカナダ人としてのアイデンティティが明らかにされる。ここで浮かび上がってくるのは、「米国人の言いなりにならない芸術家」としてのグールドである。なぜグールドは商業・文化の中心としての「南」(アメリカ)に行くことを拒み、「北」(カナダ)に留まったのか。それは、「『隔絶』を生かして『南』を見据える超然的な態度、すなわち『ディタッチメント』」の思想にあると宮澤は指摘する。親交のあったメディア理論家マクルーハンとともに二十世紀のカナダを代表する知識人であったグールドは、「北」に留まり、カナダ人としての倫理(時流に流されないこと)を説き続けた。

 百ページに及ぶ膨大な註は、読者のグールドに対する興味を様々にかきたて飽きることがない。

2005年1月11日