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井手口彰典『ネットワーク・ミュージッキング』(勁草書房)

 「ネットワーク・ミュージッキング」とは、ネットワークを介したコンピュータの利用形態を指す「ネットワーク・コンピューティング」という言葉と、幅広い音楽実践を指す「ミュージッキング」という言葉を組み合わせた著者による造語である。ネットワークを介したあらゆる音楽実践を包括的に含んだ概念として提唱されている。

 本書の論旨は極めて明確である。20世紀の「複製の時代」にはレコードなどのアナログ複製物が中心になって音楽文化が形成されていた。21世紀にはデジタル技術とインターネットなどの通信技術が全面化して「参照の時代」となる。そこでは複製物の〈所有〉ではなく、データソースの〈参照〉をベースにした音楽文化が形成されるのであり、私たちは今そういった大きなパラダイム転換の途上にいるのである。

 新しいメディアは、既存のメディアの延長上において理解されることが多い。1982年にCDが登場した時、多くの消費者にとってCDとは便利な新型のレコードにすぎなかった。しかし、それは「参照の時代」の音楽文化の幕開けを告げるものだったのである。

 音とは空気の振動に他ならないが、それをモノの上に「痕跡」として記録したのがレコードであり、CDはデジタル化された無体の「情報」を再びモノの上に記録したものである。つまり、デジタル録音の本質は脱「モノ」化であり、CDはその過渡的な形態にすぎないのである。実際、国内の音楽CD市場は1998年を境に縮小しており、代わってインターネットや携帯電話を介した音楽配信が業績を伸ばしている。

 新しい時代の聴き手は、限られたコレクションを時間をかけて構築する代わりに、「聴きたい時、聴きたい場所でネットワークにアクセスし、膨大な参照系のなかから瞬時に情報を取り出し、音楽を楽しむ」。こうした聴取態度が私たちの主体形成にどのような影響を及ぼすのかについてはこれから注意深く見ていかなくてはならない。

2009年10月4日(「南日本新聞」掲載)