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『終りなきパリ』展によせて

 アルベルト・ジャコメッティ(1901-66年)は細長い人体彫刻で有名ですが、その彫刻が見えるものを見える通りに彫刻するという彼の探求が生み出した過渡的な様式であることはあまり知られていません。ジャコメッティの没後刊行された版画集『終りなきパリ』(1969年)は、彼が彫刻、絵画、デッサンによっておこなってきた探求――見えるものを見える通りに彫刻し、描き、デッサンすること――の成果を示すひとつの到達点といえます。

 『終りなきパリ』は、ジャコメッティが晩年(おもに1957-62年)に描いた150点のリトグラフによって構成されています。とりあえずは、写真のスナップショットのように写し取られたパリの風景の連作とでも形容するのが最もふさわしいでしょう。それは、街路や、カフェ・バーや、室内でジャコメッティが自分の目を惹いたものを素早く写し取るそのやり方が、風景を断片的に切り取る写真を想起させるからです。しかし、写真とデッサンとの違いを考えることが、『終りなきパリ』を見るうえでとても重要です。

 批評家ヴァルター・ベンヤミンが述べているように「カメラに語りかける自然は肉眼に語りかけるものとは異なる」のですが、私たちは普段そのことを忘れています。そのくらい、写真イメージは私たちがものを見るときの基準となっているのです。ジャコメッティは突然そのことに気がついたとインタヴューのなかで述べています。「1945年ころ、結局写生によって仕事をしようとはっきり思いはじめた。私の場合、写真による世界の視覚と私が受け取った自身の視覚との間に完全な分離が起った。……それ以前は映画館を出ても何事も起らなかった。つまり現実についての日常の視覚の上にスクリーンの習慣が投影されていたのだ。それが突如破れた。……そして写真がどうしても現実の根源的なヴィジョンを与えてくれぬ以上は、絵を描き、彫刻をやらねばならぬということを私は新たに感じた」(『ジャコメッティ/エクリ』)。

 写真は一挙に外界を捉え像として定着させますが、私たちの目が対象を捉える範囲は実はとても狭く180度の全視野に対して2度から10度くらいです。中心の対象は鮮明ですが、周辺の対象はぼやけ、また眼球のカーブに応じて湾曲しています。私たちは、たくさんの注視をおこない、それを記憶として定着させた結果、脳のなかで全体的な印象を作り上げているのです。一般に考えられているように、私たちは対象を一度に見るのではありません。

『終わりなきパリ』

 『終りなきパリ』を見ると、そのことがよくわかります。ジャコメッティが注視しているものが強く太く描かれ、その他はただぼんやりと描かれているか、ほとんど何も描かれていません。このように、人間の目に映る物の印象の強弱を写真が写し取ることはできないのです。ジャコメッティの肉眼のカメラは彼が見たものを忠実に再現しています。

 写真による映像と私たちの視覚が異なる点がもうひとつあります。それは、カメラが一眼で対象を捉えるのに対して、私たちはふつう二眼で対象を捉えているという点です。ルネサンス以来の遠近法はカメラ(写真術の発明以前はカメラ・オブスキュラと呼ばれるピンホール付き暗箱)の光学に則っており、それは片目で物を見ることを意味しています(その証拠に今でも基礎デッサンの際には片目をつぶってプロポーションを測ります)。ジャコメッティは片目ではなく両眼で捉えた世界を描こうとしました。

 対象を捉えるためにジャコメッティは無数の線を引きます。線は幾重にも重なり、互いを訂正し合いながら、非確定の輪郭を作ってゆきます。ジャコメッティについて最初のモノグラフ(研究書)を書いたジャック・デュパンは、この極めて独自のデッサンの方法が、実は知覚における目の動きに正確に対応していることを指摘しています(『ジャコメッティ――あるアプローチのために』)。私たちが『終りなきパリ』の作品群の前でデッサンの線をなぞるとき、それは手と連動したジャコメッティの二つの目(視線)の動きをなぞることになるのです。

 『終りなきパリ』の序文のなかで、ジャコメッティはこう述べています。「この本の冒頭は黄昏(かわたれ)どき、サン・ドニ街をタクシーで下っていったときのものだ。ああ、あのときはパリの面影(イマージュ)を、今も過ごしこれからも過すであろうあちこちでしきりに描いてみたいと思った。それがやれるのは油絵でもデッサンでもなく、この石版用のクレヨンだ。このクレヨンは速く描くための唯一の画材で、そのかわりまた手を入れたり、消したり、ゴムを使ったり、やり直したりすることができない。……あの日が私には非常に遠く思われる。夕ぐれサン・ドニ街の刷師ムルローの家から出ると空は明るく、街は、もはや真暗な、高い暗い絶壁にはさまれた坂道のようで、空は黄色く、夕闇の空は黄色く、私は心もそぞろ何とかしとげようと、眼をひくものを、八方、眼をひくものを、町中をできるだけ早く描こうとしたが、急いで見出そうとする街は突然果てしない未知のもの、いたるところ、どこもかも限りない豊かさをもつものとなったのだった」(『ジャコメッティ/エクリ』)。

 『終りなきパリ』展は2008年2月13日(水)から3月30日(日)まで鹿児島市立美術館にて開催されています。

2008年2月15日

 付記:2016年9月7日(水)から9月25日(日)まで鹿児島市立美術館2階企画展示室にて『終りなきパリ』のうち40点が展示されます。