小林秀雄の『近代絵画』は「近代絵画史」ではない。近代の画家たちの孤独な闘いの記録である。
モネは、風景のいたるところに色が輝くのを見た。影さえ様々な色でふるえているのを見た。
セザンヌは、光も色と見たし、空間さえ色として感じていた。色はいたるところで、色彩ある面として現れた。
ゴッホの制作の中心観念は「感情」とか「情熱」とか呼ばれるべきものであったが、彼もまたセザンヌのように、そういうものの実現は自然との相談ずくでなければ不可能であることを信じていた。
それは、色彩を意味として捉えていたゴーガンにも、絵画の伝統を重んじたルノアールにもいえることなのである。
デッサンに憑かれたドガについてはいうまでもない。
キュビスムから抽象絵画への道を開いたとされるピカソでさえ、自然を前にした仕事しか信じてはいなかった。
小林はいっている。《モネもピカソも予言者であった。予言者といっても、何も先が見えていたわけではない。現にあるものが、人よりよく見えていたという事だったであろう》(『近代絵画』)。
絵画において自然(現実)の探究が終わったとき、近代絵画もまた終わった。
だが、ここにもう一人、自らに現実との孤独な闘いを強いた近代の画家がいる。彫刻家でもあるアルベルト・ジャコメッティである。
ピカソより二十歳年下のジャコメッティは、ピカソが『アヴィニョンの娘たち』(1907年)を制作したとき、まだ五歳だった。小林はピカソによって近代絵画が終わったかのような書き方をしているが、私はそのあとにジャコメッティの作品と生涯を書き加えてみたいのである。彼はピカソとは正反対の道を進んだが、彼の探究もまた、終わりなき探究であった。
鹿児島大学法文学部紀要「人文学科論集」第60号(2004年)
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