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『ネットワーク・ミュージッキング』出版記念シンポジウム

「参照の時代」の音楽文化をめぐって

井原 : 21世紀以降がデジタル複製技術の時代ということになります。アナログからデジタルへの移行は「コンテクストからテクストへ」という枠組みで捉えることができると思います。contextというのは前後関係や文脈と訳されますが、con-というのはラテン語で、英語で言うとwith、つまりtextに付随するものという意味です。このcon-というのが芸術の体験において非常に重要な役割を果たしているのではないかというのが私の意見です。たとえば、《モナリザ》という作品。これは1点しかありませんので、《モナリザ》を見るためにはパリのルーブル美術館に行く必要があります。パリという街のなかにルーブル美術館があり、ルーブル美術館に飾られた多くの作品のなかに《モナリザ》がある。つまり、様々なコンテクストのなかに《モナリザ》があるわけです。それが印刷されて流通しますと、そのコンテクストのかなりの部分が失われてしまいます。ベンヤミンは「複製技術は、複製の対象を伝統の領域からひきはなしてしまう」といっています。ただし、そこではまだ1冊の本、たとえば「ルーブル美術館」や「レオナルド・ダ・ヴィンチ作品集」のなかに収められた《モナリザ》であったり、他の作品とのコンテクストがあったと思うんですね。レコードもコンサートと比べると、多くのコンテクストを捨象していますが、レコードのジャケットやアルバムの構成といったコンテクストはあったわけです。それがデジタル複製技術になると、単なる情報(text)になる。文学も、音楽も、絵画・写真も、映画も、パソコンや携帯端末機器といった同じプラットフォームにデータを呼び出して楽しむようになります。そこにはアナログ作品が持っていたようなコンテクストが決定的に欠如しています。文化としてはある意味で貧しくなっているのではないかと思います。

「鹿児島国際大学福祉社会学部論集」第28巻第4号(2010年)