「少子化の悲観的側面と楽観的側面の両面について,あなたの考えを記述してください。なお,その際に,必ず根拠を示してください。」
評価のポイント
@少子化の悲観的・楽観的両側面を論じているか
A根拠を示しているか
B全体的に小論文としてまとまっているか
法文学部 経済情報学科 1101500197 大島貴幸
自分の考えている少子化というのは、悲観的側面しか持たなかった。ただ、今まではいろいろな情報の入ってくる中で、それを鵜呑みにしていただけだった。今では、なぜそうなるのか、また、楽観的側面を見つけることにより、さらに少子化について理解が深まったように思う。しかし、自分の中では悲観的側面の方が大きいように感じている。
自分がよく耳にしていて、鵜呑みにしていた情報として人口問題のことがある。テレビや、新聞などで取り上げられていたと思う。これは、日本全体人口の減少のことや高齢者人口が増加してきている、といったことが中心だったように思う。しかも、なぜそうなるかを考えもしていなかった。「このままでは危ない」や「人口が減る」という言葉だけを聞き大変じゃないか、と驚いていただけだった。現在の死亡確率の元では合計出生率が2.08あれば人口の増減の無い状態に保つことができるのだが、今(平成12年現在)は1.35しかないために人口が減ってきている、ということも解るようになった。確かに、人口が減ってきていてこのままではいつかは地球から日本人がいなくなるだろうという予想は立つ。しかし、本当にいなくなるというのは約千年も後のことになる。自分には、あまり現実味は内容に聞こえる。そのような外見も大切だが、それよりまず、内面的問題を解決していかなければいくら人口が減っても「日本人がいなくなるから危ない」としか考えられないのではないだろうか。
内面的問題として取り上げられていることの一つとして一番大きいものに、女性の労働率の上昇が挙げられるだろう。女性が社会に出てきて働くことは、なんら悪いことではないし、逆に良いことのように思える。今までのように、男性からだけの視線だけでなく女性の立場からも考える必要もあり、このことは大いに推進していくべきである。しかし、そのために少子化が進んでいる事実がある。これは、女性が働いていく上で子供を作ることに不安や負担がかかるということがあるためだが、企業や家庭での男性の意識改革が必要であると思う。特に、女性には家事や育児などの負担もかかっている。これは、自分の家庭でも言えることである。母親も仕事に就いているが、家事や育児はほとんど母親の仕事になっている。父親にも分担させるべきだとも思うが、父親の帰ってくる時間は十時を回ることがほとんどだ。これでは、父親には、家庭の仕事はほとんど出来はしない。男性が家事に携わるためにも、企業が労働時間の短縮など理解を示していくことが必要だ。現在のように、父親が育児休暇を取ったらニュースになるようでは少子化改善は一向に進展しないだろう。しかし、保育所や法案など環境が整ってきつつあるので、このことに関しては改善の方向にあるような気がする。また、家庭でもそのことについて考えることのできる男性も少なからず増えていると思う。経済社会が衰えてきている現在では女性の力も必要であるから、環境を整え女性が子供を産んでも働きやすいようにしていくことは不可欠なことであると思う。
また、少子化によって高齢化が進み経済的負担がかかるという問題もある。よく聞く話であるが、高齢者は経済活動に関わらなくなるので、子供にかける負担とは違うといわれることである。確かに、このような言い方をすると失礼だが、子供はこれから先、成長して次の社会を担わなければならないのは確かである。しかし、現在の社会には定年を迎えてもなお元気に暮らしている人も大勢いる。自分の担任の先生だった方は、定年後に趣味であった庭いじりの知識を生かし、デパートの植木コーナーで働いている。また、自分の祖母など農家の人たちや自営業の人たちには、一般的に定年と呼ばれる六十歳を越えても働いている人が多い。このように、働ける人も多いのである。高齢者でも働ける社会であれば生産活動にも関わるし、逆に、若い人たちに刺激を与えることにもなると思う。ただし、ここで問題になるのは強制的に労働させることはできないことだ。今までは六十歳で定年だったのに、急に六十五歳で定年となると不満のある人も出てくるだろう。そのことも考えると、強制はできないのである。
加えて、高齢者に関わる問題として福祉の問題が挙げられる。現在は、介護に回る労働者が人手不足であるという話である。高齢化が進む上に少子化で就職する人が少なくなってきているのだから、人手不足になるのは当然のことだと思う。しかし、このことは次第に解消していくのではないかと感じる。まず、社会的に社会福祉士やホームヘルパーに関する知識を持つ人が増えてきていることが挙げられる。高校時代に、福祉関係に興味を持ち病院に就職したり、医療福祉専門学校に進学したりしていく友人が予想以上に多かったこともあるかもしれない。また、一時期自分もその道に進もうかとも考えたことがあったからかもしれない。それだけでなく、就職難と人手不足からも福祉関係なら就職できるという確率も高く考えられるからではないだろうか。また、高齢化についての社会保障制度など政治で取り上げられることは多いが、少子化のことを挙げる人はほとんどいないと思う。それにより、少子化よりもその対策は早く進むだろうと思われる。
ここまでは、自分の中の楽観的側面を挙げてきたが、自分の中での悲観的側面と思われる子供を産みたくても産むことができない人たちのことがある。この人たちは結果的には、少子化に貢献してしまうのである。授業で使ったテキストにあがることがほとんどなかったが、インターネットにより自分の予想していた以上にこのような立場におかれている人が多いことがわかった。不妊症で子供が欲しいのにできない場合があったり男性の方に問題があったり、大声では人前で話しにくいことである。しかし、実際は既婚している夫婦のうち約二割は子供が欲しくてもできないのである。そのうち、不妊症でも子供が欲しくていろいろと努力している夫婦がいることもわかった。不妊症の治療のために保険のかからない、一度で四、五十万かかる治療や手術を何ヶ月も繰り返しかなりの出費をしている人もいると聞く。仕事があるからといって子供を作らない人の方が多いのは事実だろうが負担の大きさが違うような気がする。子供が欲しくて努力してもできない人、子供が欲しいけど作らない人の差である。子供を作ろうと努力している人たちには何ら補助がなく全てが自分の負担であるのなら、保険を効くようにしたり補助金を出したりとサポートしなければならない。少子化問題を考えていく上で忘れてはいけないことの大きな一つであると思う。
現在は子供ができた人にはそれなりの環境を作ろうとしているが、不妊症などで子供が欲しくてできない人たちだけでなく、子供を作ろうと努力している全ての人たち何らかの補助があれば少子化に歯止めをかけることができるのではないかと思う。また、当たり前だが少子化というのは女性だけの問題だけでなく男性の問題も大きく影響している。やはり、現在の政治のトップの人たちもほとんど男性である。男性が視点を変えていくことが少子化を抑えるカギを握っていると思う。
法文・経済 後藤 浩
少子化社会の悲観的側面と楽観的側面について述べる。まず悲観的側面であるが、主に三つのことについて述べていきたいと思う。
最初の問題は、これから起こるであろう労働力不足の問題である。労働人口年齢がどんどん高齢化していき、50歳から60歳の労働者が中心の社会になるであろう。その後はどんどん労働人口は減少していく。ここで、「経験をつんだ中高年の労働者のほうが労働力として会社には役立つので、問題はないのではないか。」といった意見が出そうであるが、私はそうは思わない。確かにその意見も正しいのであるが、失敗を恐れない若者特有のパワーが、職場には必要なのである。まだ何も知らない若者は、失敗を恐れずに我武者羅に働く。そういう活気に満ちた労働者が職場の雰囲気を盛り上げるのではないか。中高年の労働者は比較的ミスも少なく、冷静に仕事を進めていけるであろう。もちろんそういうタイプの労働者も必要である。つまり、チャレンジ精神旺盛な若者と確実に仕事をこなせるベテラン、この二つの労働力のバランスがあってこそ職場は成り立つのである。だからこのバランスが崩れてしまってはいけないのだ。よって労働力不足というよりは、労働力人口層の変化が少子化の悲観的側面のうちの一つである。
次にあげたいのが、少子化がその関連企業に与える影響である。保育園や幼稚園、小児科や玩具屋さんなどがそれにあたる。少子化が進めば進むほど、これらの産業は経営が厳しくなり、労働者の削減や、ひどい場合には倒産という事態も起こってくるだろう。そうなると失業者が増え、その家族は収入がほとんどないので、消費活動をひかえるという社会全体の経済的な悪循環につながる。また大学の経営も少子化に影響を受ける。特に私立大学の場合、経営が不可能になるといった事態は数え切れないほど起こるであろう。その中で生き残るためには二つの方法しかない。一つは大学のレベルを下げて入学を容易にすることである。そしてもう一つは、一人当たりの入学金や授業料を増やし、少ない生徒数でも経営できるようにする方法である。どちらにしても経済には悪影響を及ぼす。前者は大学卒という肩書きだけの、たいした知識も力ない労働者を生み出すことにつながる。しかし現在必要とされている労働力は、特殊な能力や技術を身につけているものであり、大卒の肩書きなどほとんど意味を持たないのである。後者は単純に一人の子供にかかる教育費が高くなり、代二児を出産する経済的余裕がなくなり、ますます少子化を進めることになる。また、教育費に収入のほとんどを使うことになるため、他の部門の消費活動が進まず、このこともまた経済的悪循環につながるのではないだろうか。以上のようなことが二つ目の少子化の悲観的側面である。
最後の一つは、高齢者に対する社会福祉の問題である。日本は1973年を福祉元年とし、社会保障制度に力をいれてきた。しかし、この少子、高齢化の社会ではこれまでの制度がうまく機能しなくなる。現代は一人の高齢者を4.4人で扶養していることになっているが、これが2025年には2.2人、2050年には1.7人になると言われている。どう考えてもこのまま予想通りに高齢化が進んでいけば、今のままの制度を続けることは不可能である。また高齢化社会が進むにつれて、高齢者を介護する人、いわゆるマンパワーの不足が生じてくる。このことも解決しなければならない大きな問題である。しかしこの福祉の問題は少子化の楽観的側面でもあると言えるので、そのことは後で述べたいと思う。とにかく新しい制度を考えなければこの高齢化社会を乗り切ることはできないであろう。
以上三つのことが少子化の悲観的側面である。次に楽観的側面について述べたいと思う。
楽観的側面としてまず挙げたいのが、教育面のことである。現在の小中学校の一クラスは40名程度である。はたしてこれは妥当な人数と言えるだろうか。今、いじめを苦に登校拒否になったり、自殺をしたりする生徒が後をたたない。しかし学校側は決まって、「明るい子だった。」とか「悩んでいるようには見えなかった。」というコメントを残す。これは責任逃れをするために言っている所もあるかもしれないが、もし本当に気づいていなかったとすると大きな問題である。つまり、40名に一人の担任というシステムには無理があるのだ。ここで少子化ということになってくると、一学級の人数を減らすことができ、先生が今以上に一人一人の現状を把握できるようになる。このことは多少なりともいじめなどを減らすことに繋がるのではないか。またクラスの生徒の人数を減らさないにしても、生徒数は減少しているのだから、先生を二人ないし三人つけるということも可能になってくるだろう。少子化により、ゆとりのある教育を行うことが可能になる。このことが教育面に関する少子化の楽観的側面である。
次に挙げるのが、悲観的側面にも挙げた福祉の問題である。なぜ福祉が楽観的側面でもあるかと言うと、それは新しい産業の開発に繋がるからである。高齢化が進み介護を必要とする老人が増えてくるであろう。当然今のままの福祉の実態では、すべての老人を介護できない。そこで必然的に新しいシステムが生まれるはずである。そしてそこから新たな雇用が生まれる。またそのシステムに関連した機械や、車イス、リハビリ器具、ベッドなども必要になり、それらを作る産業も活動が活発になる。つまり一つの新しいことが始まれば、それに関連するすべての産業を活性化させることになる。このように高齢化に関係した産業から日本経済を活発にさせていく、これが少子化により引き起こされている高齢化の楽観的側面である。
最後に挙げたいのが、地域間のつながりの復活である。これは個人的な意見になってしまうかもしれないが、やはり心豊かな人間を育てるのは、豊かな環境と多くの人の愛情ではないだろうか。戦後、高度経済成長を成し遂げた日本はそれと同時に地域のつながりを失っていった。昔は近所の子供をまるで自分の子のようにかわいがり、時にはしかることもあった。しかし今の社会では、つながりどころか、挨拶さへ交わさない有様である。これでは人との関係を自然に学ぶこともできないし、他人にたいする礼儀や配慮を覚えることもできない。しかし、少子化、というよりもそれに関わる高齢化によって地域には老人が増え、しかも子供は少ないという環境なので、子供は非常にかわいがられるのではないか。そういった環境のなかで人生の大先輩と関わり合い育てられた子供は、きっと心豊かな子供に育つはずである。この高齢化による地域間のつながりの復活が、少子化の楽観的側面と言える。
以上、最後の一つは個人的な願いが強いと言ったところも見られるが三つの楽観的側面を挙げた。
少子化、高齢化というと悪いイメージを持ってしまいがちであるが、決して悲観的側面ばかりではない。とは言ってもやはり少子化は悲観的な問題のほうが多い。では少子化を解消するために何かできるかというと、それはかなり難しい問題である。一時的に過去のベビーブームのような現象が起こることはあるだろう。それは、現代の若い女性に大人気である、浜崎あゆみや、モーニング娘といったカリスマ的アイドルが妊娠、出産したときなどにその影響により生じるかもしれない。しかし、そのような一時的なベビーブームは長い目で見れば何の意味もなく、それどころかその子供たちが高齢者になったときのことを考えると、よけいに問題を複雑にすることになる。だから、いかに少子化を防ぐか、というよりも少子化の中での新たな対策が必要である。(3125字)
法文 経済情報 中村太地
私が考える少子化の悲観的側面は、まず第一に、労働力人口の減少、第二に、労働力人口の高齢化、第三には、消費市場の縮小、第四に、人口減少による税収入の低下に伴う、財政収入の低下と、それによる個人の税負担の上昇の可能性である。
まず、第一については、現在は全体的に見ると労働力はいきわたっているように見える。確かに不況のためという理由もあるが、失業者の数は多く労働力は過剰であると思われるが、これは、失業者あるいは就職未定者が職種のえり好みを行っているためなので、実際は現状でも労働力はやや不足していると言ってもよいだろう。現状であってもやや不足であるのだから、今後はますます不足していくこととなるだろう。まず単純肉体労働の職での不足が始まるだろう。これは職種のえり好みによるものである。その後も少子化によって人口そのものが低下していくため上級職においても労働力不足は避けられなくなるだろう。
問題なのはやはりテキストにもあるとおり、労働力が経済成長率と強い相関関係があることである。そのため人口の減少による経済成長の低下は避けられないと考えられる。また、労働力不足による経済の失速もまた避けられないと思われる。
第二の、労働力人口の高齢化の問題は、テキストにある流動性の高齢化による喪失がやはり問題であると考えている。これは現在の政治が行おうとしている政策にも大きく関係していると私は考えている。政府は「改革を行った結果、失業者を出すことになるが、改革の結果、起こるIT産業に吸収される。今の職よりも高収入になるので結果的にはよい。」といったような内容の考えを聞いたが、これは高齢化による流動性の喪失を考えていないと私は思っている。高年齢になるにつれて、やはり、新技術の取得能力は低下してしまう。ここで問題なのは改革によって生じる失業者の大半は中高年齢者なのである。改革の結果、いくらIT産業がおこっても、中高年齢者がそこに入ってはいけない可能性が高いのである。つまり、この政策の存在が労働力人口の高齢化の問題となると私は考えている。また、流動性が高齢化によって損なわれることが経済成長の足かせになりかねないことも深刻な問題であると思う。
第三の、消費市場の縮小の問題は消費の絶対数の低下が問題であると思う。人一人の消費にはやはり限界があり、そのために市場の縮小が起こるというというのは、テキストと同じであり、そのとおりであるとも思う。テキストでは、高年齢層をターゲットとする事業の展開を説いている。しかし、重要な問題は根本的に人口が減った場合、どうすのかということではないか、と私は考えている。
第四の内容は、私は、重大な問題であると考えている。なぜならばこの問題は、日本の今後の経済発展に大きくかかわっていると考えているからである。人口の減少は税収入の低下を招くことになるのは避けられないと思われる。そのため、政府の構造改革が必要になってくる。これは財政支出を抑えることが重要であるが、ここで私が気になっていることが、財政収入に制限がかかろうとしているのではないか、ということである。財政収入に制限が加われば、個人に負担がくる恐れがあるのではないかと思うのである。もちろん改革は必要なのであるが、現状から考えるならばその可能性が高いと私は思うのである。少なくとも少子化は税収入の減少につながるので、そこの補填をどうするかである。
次に、少子化の楽観的側面は、第一に、過密化の緩和。第二に、少子化による労働需要の拡大。そして第三に、エネルギー問題の改善の可能性である。
第一の過密化の緩和は、単に都市の環境の良化のみではなく、住宅等の価格の低下にもつながると考えられる。そのため居住費の負担の低下による購買意欲の向上につながるのではないかと思われる。購買意欲の向上は当然、景気の回復へつながるものであるといえる。また、都市環境の良化の方は、具体的には現在の乱立状態の改善と、それに伴う公共施設整備などが考えられる。これらは、心のゆとりという面で重要だと言える。またこのような整備は、治安の面でも重要であり、その効用も高いと思われる。
第二の少子化による労働需要の拡大は、個人レベルでの利点であるといえる。なぜならば、少子化によって新たな労働者は減ることになり、就職競争が緩和されるというようになるかもしれないが、経済全体としては、労働者の減少は経済成長の妨げ、下降につながるということがあるためである。しかし、就職に対する不安が軽減され、より上級の職種につくチャンスが増えると言うことは望ましいことである。
第三の、エネルギー問題の改善の可能性については、端的に言えば、人口が減少すれば、それはエネルギーの消費の低下につながるということである。このことにのみついて言えば、少子化は好ましいといえる。なぜならば、エネルギーの消費は若い世代で大きく、高齢になるにつれて小さくなるといえるからである。なぜこの様に考えるかというと、エネルギーの消費は経済的消費であるといえると考えるからである。これは、私は現代では経済とエネルギーは密接につながっていると言えると考えるからである。そのため、経済的消費は若い世代で高く、高年齢で低くなるという考えに、エネルギーにおいても当てはまると考えたのである。しかしこれは、今後、経済的消費がゆるやかに落ちていくということを示しているともいえる。そのため、エネルギー問題についてのみ少子化は望ましいとしたものである。
三つの楽観的側面を述べたが、それぞれに述べてあるとおり、経済的に見るならば問題となる可能性を楽観的側面は秘めているものもある。しかし社会的にみるならば重要な事柄であるので、一概に、楽観的側面を否定することもできない。そのため、両側面を比較し、どれだけ利点をひきだしていくかが、今後の課題だと私は考える。