“プロダクティブ・エイジング”と『家族』役割

“プロダクティブ・エイジング”と『家族』役割

 

北海道大学大学院 片桐 資津子

北海道大学教授 小林

 

概要

 本研究は、高齢者が生活に適応していく過程を、生涯発達論の観点から、「人生の転機─親密な他者を含む“家族”─生産性」として把握することを目的とする。そのため、調査対象地を北海道函館市Y町とM町に設定し、対象者を75歳以上の高齢者に限定した。

多くの高齢男性は、中年期での企業・職域志向型の生活から、定年退職を経て、老年期での家族・地域志向型の生活へと、その生活構造を大きく変容させている。本分析の結果、“社会的生産性”をもつ過程で、多くの高齢男性が、今まであまり気にもとめなかった、身近にいる親密な他者を含む家族との絆を大切にするように変化していく傾向があることがわかった。したがって、中年期における“経済的生産性”を通過してはじめて到達できる生産性があり、それが老年期における“社会的生産性”であることが考察された。この具体的な姿を明らかにすることは、“プロダクティブ・エイジング”を議論することに繋がっていく。

 

キーワード:経済的生産性,社会的生産性,家族,“プロダクティブ・エイジング”

 

目次

第1章 はじめに(小林)                           

第2章   調査地域の社会的特徴―函館市、M町会・Y町会―(小林)           

  第1節 函館市の歴史的・社会的背景

  第2節 M町会とM老人クラブ

  第3節 Y町会とY老人クラブ

 

第3章 「生産性」に関する概念整理(片桐)                  

  第1節 本研究の問題関心

  第2節 「生産性」の定義

第4章 調査の概要──量的調査と質的調査の実践──(片桐)          

第5章 分析とその考察(片桐)                        

  第1節 基本的属性

  第2節 老年期における転機とその支え

  第3節 “プロダクティビティ”の内実

第6章 おわりに─―“プロダクティブ・エイジング社会”に向けて――(片桐)  

 

引用注                                    

参考文献                                   

謝辞                                     

 

 

第1章   はじめに

 

私たちは、(財)北海道高齢者研究協会の事業の一環として、「“プロダクティブ・エイジング”と『家族』の役割」に関する調査を行った。この報告はその一部分である。 

調査目的は、高齢者を「依存」「介護」「社会的コスト」の対象としてのみ位置づけるのでなく、「生産性 productivity」を持った存在として捉え返すことにある(R・バトラー)。この場合の生産性とは、「生産過程に投入された一定の労働力その他の生産要素が生産物の産出に貢献する程度」[『広辞苑』第5版]ではない。それは、B・フリーダンの言う「自分の人生を自分でコントロールするセンス」と関わる(R・バトラー他編著『プロダクティブ・エイジング』所収の「女性と男性―活力ある老いとは―」;原著1985刊)。とりあえず、前者を《経済学的生産性》、後者を《社会的生産性》と名づけるが、この社会的な生産性の内実を北海道社会の現実から把握することが研究目的である。

 こうした研究目的を遂行するに当たり、私たちは、調査対象地が北海道にあるというだけで、「例外的な事例」であるという扱いを受けないよう配慮し、本州、とくに北東北と歴史的な関連の深い道南地域(渡島・桧山管内)を調査地とした。かつ今回の調査趣旨から見て、道南の中心都市・函館市に焦点を据え、函館市内の町会ごとに、75歳以上高齢者の総数と比率を勘案し、歴史の古い西部地区のM町会とY町会を具体的な対象地区として選んだ(後述)[須藤隆仙『函館の歴史』1980](小林甫)

 

第2章 調査地域の社会的特徴―函館市、M町会・Y町会―

 

第1節 函館市の歴史的・社会的背景

 

15世紀、道南12館の一つ、河野氏の「箱館」(現・M町周辺)が現れるが、18世紀初め箱館村は藩主直轄の村、「亀田番所」所在地(M町)となる。Y町に当たる村域は藩臣所行の湿地であった。ロシアとの関係から直轄・直営となる江戸後期〜明治初期は、中央政府の蝦夷地・北海道開発の開発拠点・交通要衝であった。

 近代函館市は、漁業基地(北洋漁業)、それに付随して発生した関連産業(造船・水産加工業)と、を中心とした北海道の玄関口(青函連絡船)、ハイカラな文化都市として発展した。しかし、こうした「成長」要因が“失速”要因となる。石油危機・二百海里規制、また航空輸送の発展により、「函館市が都市として担ってきた基本的役割に大きな変化が生じ」た[北海道開発庁編『北海道の都市の現状と展開方向』、1993]。

 函館市の人口は1980年をピーク(320,154人)に漸減し、1995年に30万人を切る(298,881人)。1999年11月末の住民基本台帳人口は291,073人(ピーク時の90.9%)である。他方、高齢化は着実に進み、1995年の60歳以上人口の比率は、16.3%に上っていた。西部地区の中心M町、周辺Y町はともにドーナツの輪の中にある。

  現在に至る函館市は、道南圏の函館市から、人口29万人(1998年;ピーク値)を持つ青森市との「ツインシティ提携」を拡げ、「国際交流・観光都市」を指向し、また「青函海洋開発」、「青函先端技術産業開発」等の産業振興、大学等の新設・誘致策を取る。これと比べると、医療・福祉施策は新味に乏しい。「青函インターブロック交流圏」において、医学部・医療専門学校は弘前大学にしかない中で、函館市は医療従事者数、病床・病院・診療所数、死亡率・乳児死亡率、長寿人口比率で見た「健康」度は札幌なみだが、社会福祉施設数、生活保護率、老人就業率の「福祉」度は、上磯町、大野町よりも低い[北海道未来総合研究所編『北海道市町村活性化指標』、1997]。

 函館市における高齢者の在宅福祉サービス、とくに老人介護支援は、旭ヶ岡の家のほか、五稜郭病院など7医療機関が主体であり、行政の機関は多くはない。函館市社会福祉協議会は「地域社会の人間関係を回復させ、人々が希望と潤いのもてる福祉関係者の協力を得て、福祉問題の解決を図り、住民主体の中核団体として活動」している。函館市老人クラブ連合会は、@学びながら、A趣味をもち、B働きながら、C健やかに、D心安らかに「老いを生きる」の5つを生涯教育の柱としている。

 

第2節 M町会とM老人クラブ

 

M町は近世〜近代を通して函館の行政庁所在地だったが、1934年の、大火直後には「お役所と官舎とプチブルの住宅と寺院と学校」がある「しずかで上品な町」[元木省吾『新編・函館町物語』、1967]と評された。衛生火防組合と親睦会があり、在郷軍人会と青年団はなかった。

 60年後の1995年現在、町内総人口は1,845人であり、M町会(加入率70%)は、会長−副会長3人−監事2人のもとに、総務部、火防部、防犯部、交通部、街灯部、保健衛生部、福祉部、青少年育成部、婦人部の9部がある。総務部は市役所の本庁と、火防部は消防署と、防犯部・交通部は警察署と密接な関係にあり、「流れてくるものを町民に知らせる」。街灯部は町内の街灯管理、保健衛生部は町内清掃、ゴミ・資源回収、婦人部は活発だが若い婦人が入ってこない。青少年育成部は函館山登山や周辺5町内との何かの行事をするが、子ども自身が少ない。

福祉部は日赤共同募金のほかに敬老行事として、市の敬老祝金に上乗せしての祝金の支給をするのだが、長寿会が行なう敬老の集い(敬老の日)を「共催しようとなったが実際には参加がない」。M長寿会(49人)は、会長−副会長(3人→「なる人いなくて1人」)−幹事6人−監事2人役員構成で、「女性を除いたら解散だ」というほど、女性に依存している。現にM老人クラブは6人の幹事(いずれも女性)が「地域割り」をして、会や函老連の情報を流したり、単身世帯(38世帯)に気配りしている。

会長のKK(81歳)さんは、Y町の漁師の息子で、青年学校を出て大蔵省専売局・商工省燃料局に入るも戦争で北樺太へ。捕虜生活後に復員して産業復興財団に出向、結婚後の1950年に道庁に入り、53歳まで道内を転々として、1971年に渡島支庁社会福祉課に移り、定年後は「特養と身障者の施設」の院長として同施設を作り上げた。1988年にリタイア、ここ7〜8年はM町会や長寿会に携わってきた。「悔いのない一生だった」。

 

第3節 Y町会とY老人クラブ

 

「古来Y町は池や沼によって型づくられ、それが1886年に埋め立てられて今日のような町名となり簡素な住宅地となった」[『函館町物語』]。他方、軍部枢要の地として要塞司令部や連隊区司令部があり、国家総動員法下の翼賛町会の活動も活発だったが、総計50班のうち41班までを女性班長が占めた。当時の文書は言う、Y町は漁業家やサラリーマンが中心であって「彼らには、町の推進力として挺身奉公する時間的能力が不完全」なので、「終日家にある婦人が町会運営の枢軸」となっていると[同上書]。

  それから60年。2,141人の総人口をもつY町のY町会(680世帯中、未加入30軒ほど)は、企画部(対行政交渉)、総務部(内部事務)、防犯部、火防部、交通部、街灯部、環境部、婦人部、青少年育成部、そして会計係を置く。町内は7つの区に地番割りされ、区長の下に72班がある(1つの班は10〜20戸)。1975年ころは1,100世帯あったが、空地も多くなっているし、バブル時はM町と同様、地上げが激しかったという。

  老人会・寿楽会会員は104人いる(1999年9月:1995年の65歳以上人口511人)。会長−副会長3−理事7−監事2−会計1−顧問1の中で、理事と監事の9人(7人が女性)がそれぞれ3〜18人の会員の世話をし、「独居老人の健康状態をつねに把握している」。「60くらいの人が80代の人を看てる」。しかもM長寿会とは違って、他町内居住者も会員になれる(M町ほか市内8町から12人、市外1人)。過しやすいのである。年間の活動の中で「みなが楽しみにしている」のは、旅行、新年会、敬老会などレクレーション的なもので、「唄とか踊りとか持ってる人は元気だね、86〜7になってもピンとしていてね」。M町会の、「何かやりたい人はM町の外にいってやってる」、とは対蹠的である。

  寿楽会の会長OT氏(80歳)は東北の生まれ、神主の息子で国学院に入ったが1941年に招集され、ニューギニア戦線へ。復員後は神主ということで追放され、いろいろあったが、函館市役所で、教育委員会の仕事をした。定年の少し前に学習教材の販売会社を起こしたが、倒産。それ以後は「社会への奉仕活動」に打ち込んできた。2年前までY町会長、いまは寿楽会長に絞っている。妻も夫を「師匠」として社会奉仕活動を始め、やがて民生委員、保護司、人権擁護委員を務め、市長表彰を受けた。(小林甫)

 

第3章 「生産性」に関する概念整理

 

第1節 本研究の問題関心

 

20世紀最後の年である2000年4月から、いよいよ介護保険制度が稼動する。この制度は、家族による介護負担を減少させ、介護の社会化を促進するうえで、顕在的正機能としての役割を果たすので、大いに期待されるべきものである。

 だが、反面、この制度には、われわれが意図しないとしても、介護保険を受ける要介護高齢者への、同情的なイメージのみを肥大化させ、高齢者を十把一絡げにして、社会的「弱者」や「非生産者」としてレッテル張りをする潜在的逆機能も含んでいる。つまり、高齢者はもはや収入を得ていないため、「非生産」的な存在であるという見方である。

 本研究の問題関心は、こういった「高齢者は非生産的である」といった見方に対する、異議申し立てを出発点にしている。人間は、ある日突然高齢者になるわけではない。少しずつ年齢を重ねながら、個人的能力を熟成させていく。時には大きな壁にぶち当たる。だが、家族をはじめとする身近な親しい他者たちに支えられて、人生の転機を乗り越えていく。こういった営みを繰り返すなかで、人間はいつしか自己を「お年より」として認識し、また社会にもそのように認知されていく。

 多くの高齢者と呼ばれる人たちは、良くも悪くも、こういった人生の時間的・社会的連続性のなかで、自己を変容させ、かつ他者との関係性をも変容させている。例えば、中年期までは企業・職域志向型の生活をしていた男性は、定年退職を迎え、老年期には家族・地域向型の生活に移行していく。この例において、労働して収入を得ていないという理由から、彼が「非生産」的であると断言できるのであろうか。

 そこで、これらの背景を踏まえて、生涯発達論の立場から、人が高齢期にあっても「生産性」をもつという仮説を提示し、これを検証する。要するに、本稿では21世紀に向けた“プロダクティブ・エイジング”、すなわち「生産的な高齢化」の在り方について探ることになる。具体的には、第2章で述べた、北海道函館市M町とY町のフィールドで、この仮説を確認したい。だが、強調したいことは、とりわけ「家族」の支えが、人間の生産的なエイジングの在り方に、どう関係しているかということ、本稿ではこの点に特に焦点を当てて調べることである。

 では、いったい“プロダクティビティ[生産性]”とは、具体的に何を意味するのであろうか。この問題を明らかにするために、以下では、ごく簡単にその概念整理をしてみよう。

 

第2節 「生産性」の定義

 

まず始めに、“プロダクティビティ”、すなわち「生産性」にまつわる一般的な意味の確認をしておきたい。生産(あるいは生産性)という言葉をいくつかの辞書で引いてみると、次のようになっている。第一に、『広辞苑』1)によると、生産とは、「@生活の資を作り出す仕事、なりわい、生業」となっている。生産的については、「@生産に関係のあるさま、A物事に役立つさま、建設的」、と説明される。第二に、『新選国語辞典・第六版』2)によると生産とは、「@物を作り出すこと、A自然物に手を加えて、物を作り出すこと」であり、生産性とは、「生産の能率」である3)。要するに、生産性は、生活していく上で人びとが必要とする物やサービスを生み出す能率、あるいは自他ともに役立つことを行なう能率である、とまとめられよう。

 次に、先行研究における学問的定義をみておこう。『生産性事典』4)によれば、生産性とは、数量化志向を前提にするものであり、「生産物を生産諸要素の一つで除した産出量と投入量との比率で示される」(p.476)。つまり、『生産性=産出量(アウトプット)÷投入量(インプット)』である。この式の解釈は、投入量であるインプットに対して、産出量であるアウトプットが多いほど、生産性が高い、となる。また、生産諸要素には、資本、労働、資源があるので、ここから、生産性概念は、資本生産性、労働生産性、資源生産性に分類できる。しかし、経済学で一般的に使われる生産性は、普遍性をもつという意味から、労働生産性であるとされる(p.476)。この背景を踏まえて、『新経済学用語辞典』(5)で生産性を調べると、確かに、「労働時間当たりの産出量」となっており、これは経済学的な観点からの生産性と位置づけられよう。

 他方で、社会学的な観点からの生産性概念も存在する。“社会的生産性”や“福祉生産性”と呼ばれるものがそれである6)。これらの概念は、「物的な生産性向上だけでなく、人間のいきがいや社会福祉の増大を図る」(p.31)ことも示唆している。これこそが、“プロダクティブ・エイジング(7)”の考え方である。この立場では、「生産性」(8)概念を、「本質的な意味で社会を豊かにすること」と定義し、経済的生産性よりも広い意味で捉えている。社会的生産性における仕事の中身は、有償労働だけではなく、ボランティア活動といった無償労働をも含んだ、幅広いものとして理解される。

 このように、“プロダクティビティ[生産性]”概念の、一般的な定義と学問的定義の双方を踏まえて、本稿では、生産性の概念を、理念型として次の二つに分類する。一つは、《経済的生産性》であり、もう一つは、社会的生産性である。経済的生産性とは、効率、合理性、あるいは能率を重視するような、金銭の尺度で測定可能なものを意味し、社会的生産性とは、広く社会一般への豊饒性や、他者への有用性など、金銭では測れず目に見えにくいものを意味する。

 では、次に、この二つの生産性概念を用いて、合理性や効率性を目標とする経済的生産性を追求し続けることが、実は、個人的にも社会的にも限界があることを、“限定された合理性”の視点から考察してみる。

 “限定された合理性”とは、合理性のパラドックスやその限界を説明するための概念であり、R.コリンズは、これを、「個人が合理的でいられる能力の限界」(訳書、p.159)と表現している。逆説的のようだが、最大化を目指すことは、すべての選択肢を考慮せねばならないという意味でそれがコストになり、かえって非合理的になる。だが、個人の認識枠のなかで満足化を求めるならば、そのようなコストが生まれない分、より合理的になる。つまり、理想的な経済主体が行なうものが最大化であり、現実的な生活主体が行なうものが満足化である(9)

 これを踏まえて、経済的生産性の限界を考えてみたい。経済的生産性を志向する個人は、企業や業界といった集団全体のなかで、合理性や効率性といった価値志向のもとで活動(労働)している。特に、肉体労働者の場合、画一性や迅速性が要求されて、思考力が奪われることが多い。なぜなら、最大化を目指す経済的生産性の価値志向では、労働者個々の思考力が集団全体のコストとみなされるのだから。しかしながら、労働者個人から思考力を奪うことは、個人の生涯発達を考える上でマイナス要因となる。したがって、経済的生産性の限界とは、主体から思考力を略奪することであるいえよう。

この限界を補うものとして登場するのが、社会的生産性である。労働者はこの生産性を志向することによって、今までに略奪された思考力を取り戻し、創造性・想像性のベースになる創発性・内省性を授かる。これは、単に活動の側面からだけでなく、人間性の側面からも把握するもので、「生産性の精神」といわれている。「生産性の精神は、模倣の精神を探求の精神に変え、消極的な批判精神を建設的な批判精神に変え、抽象的推理を具体的経験に変えるひとつの精神状態であり、進歩の意志である」(『生産性事典』、p.30)。とりわけ、“模倣から探求へ”、“消極的批判精神から建設的批判精神へ”、そして“抽象的推理から具体的経験へ”という変容プロセスに着目すると、生産性の精神は生涯発達論に重要な示唆を与えてくれる。要するに、労働者個人がその精神を、経済的生産性から社会的生産性へと変化させていく過程が、まさに“プロダクティブ・エイジング”である。

 

1 “プロダクティビティ”概念整理

経済的生産性

社会的生産性

合理性や効率性により思考力が略奪

思考力の回復により創造性・想像性や創発性・内省性を獲得

模倣

探求

消極的批判精神

建設的批判精神

抽象的推理

具体的経験

(出典)片桐が作成.

 

 以上の概念整理をまとめると表1のようになる。このように、経済的生産性と社会的生産性の二つの生産性を、個人が生涯にわたって、獲得し変容させていく過程を明らかにすることを目的として、次のような調査を行なった。では、その概要をみていくことにしよう。

(片桐資津子)

 

第4章 調査の概要──量的調査と質的調査の実践──

 

2章で見たように、私たちは調査地として函館市Y町とM町に選定した。その根拠は三点ある。第一に、両町とも歴史的に古い町であり伝統を持っていること(10)。第二に、町の総人口に占める75歳以上高齢者率が高く、Y町は11.4%(65歳以上23.9%)、M町は14.6%(65歳以上28.5%)で、函館市の西部地域における「高齢化ベルト地帯」というべき一角を形成していること。第三に、高齢者の絶対数がY町244人、M町270人と、相対的に多いことである(11)

 対象者は、この地域に住む75歳以上の男女合わせて90人づつ、合計180人である。住民基本台帳から層化二段無作為抽出法により、1999年5月にサンプリングを行ない、種々の準備のうえ、質問紙票を用いた量的調査を1999年9月下旬に行った。春からの半年たらずの間に生活上の変化が生じており、調査不能は都合75人(うち死亡3人、入院・病気13人、転居・住所不明11人、「拒否」〔「遠慮してほしい」「都合悪い」など〕・その他48人)で、図1からも分かるように、結果として、男性43人、女性62人からお話しを聞くことができた(58.3%)。Y町からは、男性25人、女性32人、M町からは、男性18人、女性30人であった。

 

 

 以上の量的データを分析したのち、さらに“プロダクティビティ”の具体的な姿を探求すべく、1999年11月から2000年1月にかけて質的調査を実施した。対象地は質問紙票調査と同じであり、対象者も回答者105人のなかから抽出した。抽出には、9月実施の個別面接のさい了解を得られた方の中から、高齢男性10名を選択した。性別は男性に絞ったが、年齢は特に限定せず、結果としては最低齢が75歳、最高齢が96歳となった。聞き取りの方法は、各人の生活歴を素材にして回想法的に行ない、その内容は、経済的生産性から社会的生産性への移行過程と、人生の転機の状況、家族との絆の変化などであった。インタビュー時の様子は、すべてMDに録音した。(片桐資津子)

 

第5章 分析とその考察

 

 分析は次の三つに分けて行なった。第一に調査対象者の基本的属性の分析、第二に生涯発達論から、老年期における人生の転機とその支え、そして第三は“プロダクティビティ”の内実を抽出することである。

 

第1節 基本的属性

 

 今回の調査対象者に関する基本的属性に関する分析結果は、表2〜表8を見てほしい。対象者の年齢は、男女とも70歳代後半が最も多い傾向にあるが、男女間で有意な差は見られなかった(表2:p=0.88)。家族形態では、男女の間で有意差がみられ、表3からも明らかなとおり、男性のほうが女性よりも一人暮らしが少ない(表3:p<0.05)。同居家族には、配偶者、息子、そして娘などが挙げられるが、男性のほうが女性よりも配偶者(妻)と同居している実態が分かった(表4:p<0.001)。この結果は、男性が女性に比べて短命であるため、当然のことと解釈できよう。

 現在、現金収入を得て働いているのは、男性に多いのではないかと推察したが、実際は女性との有意差が見られなかった(表5:p=0.11)。この要因は、男女差というより、むしろ中年期からの仕事経験の差にあるのではないか。男女問わず、中年期からずっと現金収入を得ながら仕事を継続してきて、そのことに生きがいを見出している姿を想像できる。しかし、定年退職の経験に関しては、男女間で有意差が確認された(表6:p<0.001)。ここから、「男は外、女は内」といった根強い性別役割分業の一端を確認できる。

 学歴や収入を見ると、学歴は男性のほうが高い傾向があり、女性のうち大学を卒業した人は、旧制と新制のどちらも、今回の対象者では皆無だった(表7)。他方で、現在の収入状況には男女差が有意にあらわれ(表8:p<0.01)、図3にみるように、200万円以上500万円未満の収入があるのは、男性が73.7%、女性が42.9%と、その違いが浮き彫りになった。しかも、女性対象者のうち、46.9%は収入が200万円未満であり、女性のほうが男性に比べて収入が相対的に低いことも注目に値する。

 

2 男女別年齢構成

年齢

75歳〜79

80歳〜84

85歳〜89

90歳〜

N

男性

46.5%

27.9%

20.9%

4.7%

43

女性

40.3%

33.9%

19.4%

6.5%

62

χ20.69 d.f.=3 p=0.88, 有意な差はない

 

3 男女別家族形態1

性別

独居

非独居

N

男性

20.9%

79.1%

62

女性

41.9%

58.1%

43

χ25.04 d.f.=1 p<0.05

 

4 男女別家族形態2

配偶者と

同居していない

同居している

N

男性

11.8%

88.2%

34

女性

69.4%

30.6%

36

χ223.97 d.f.=1 p<0.001

 

5 仕事

現在、収入のある仕事を

していない

している

N

男性

83.7%

16.3%

43

女性

93.5%

6.5%

62

χ22.61 d.f.=1 p=0.11, 有意差があるとはいえない

 

6 定年退職の経験

定年退職の経験

ある

ない

N

男性

69.8%

30.2%

43

女性

22.6%

77.4%

62

χ223.22 d.f.=1 p<0.001

 

7 学歴

学歴

新制・旧制大学

旧制尋常・高等小学校

旧制高校・高専

旧制中学校・高等女学校

N

男性

16.2%

43.2%

10.8%

29.7%

37

女性

0.0%

52.6%

10.5%

36.8%

57

 

8 収入状況

性別

200万円未満

200万円以上500万円未満

500万円以上

N

男性

10.5%

73.7%

15.8%

38

女性

46.9%

42.9%

10.2%

49

χ213.28 d.f.=2 p<0.01

 

第2節 老年期における転機とその支え

 

以上の基本的属性の分析を踏まえて、次に、調査対象者の老年期における人生の転機などの分析に移る(表9〜表13参照)。最初に、この分析を行なうための前提として、「自分の人生が他の人に比べて恵まれていたと思うか」(表9)と「自分の人生を振り返って満足しているか」(表10)という二つの意見について見てみる。分析の結果、独居か非独居かの違いや(表9:p=0.88)、男女差(表10:p=0.87)のいずれにも、有意差が見られなかった。つまり、人生に対して恵まれていたと感じる度合いと満足度は、これらどちらの要因にも左右されない。したがって、自己の人生を恵まれていたと解釈し、満足感を得ている要因は、十人十色である個々の生活歴のなかに潜んでいるのかもしれない。

 次に、老年期における人生の転機を分析する。今回の調査対象者のなかで、老年期に転機があったと回答した人は、独居か否かに無関係で、28.6%であった(表11)。こうした転機がある方に焦点を当てて、その時期を男女別に分析してみた。そうすると、有意差はなかったものの(表12:p=0.57)、転機を迎える人が最も多いのは「男性は70歳代後半」で36.4%、女性は「70歳代前半」で38.9%という傾向が見出された。つまり、男性のほうが女性と比較して、老年期で転機を迎える時期は遅いというトレンドがみられる。

 さらに、家族と同居している人のほうが、転機のときに血縁関係によって支えられるのではないかと考え、この分析を試みた。だが、意外なことに、ここには有意差は観察されなかった(表13:p=0.40)。ゆえに、人が老年期において転機を迎えるさいには、必ずしも血縁関係によってのみ支えられているわけではないことが明らかになった。この分析結果から、人生に行き詰まったとき、相談して支えてもらう相手が、同居家族といった血縁関係だけに限定されているのではなく、職縁や地縁などの非血縁関係との豊かな関係性によってもまた支えられているという実態が、函館市において浮き彫りにされた。

 

9 人生恵度

人生恵度

恵まれていた

恵まれていない

N

非独居

70.0%

30.0%

70

独居

68.6%

31.4%

35

χ20.02 d.f.=1 p=0.88, 有意な差はない

 

10 男女別の人生満足度

人生満足度

満足している

満足していない

N

男性

74.4%

25.6%

43

女性

75.8%

24.2%

62

χ20.03 d.f.=1 p=0.87, 有意な差はない

 

11 老年期における転機

老年期の転機

ある

ない

N

非独居

28.6%

71.4%

70

独居

28.6%

71.4%

35

 

12 男女別による老年期における転機の時期

老年期の転機時期

60歳代前半

60歳代後半

70歳代前半

70歳代後半

N

男性

27.3%

18.2%

18.2%

36.4%

11

女性

11.1%

16.7%

38.9%

33.3%

18

χ22.00 d.f.=3 p=0.57, 有意な差はない

 

13 転機の支え

転機の支え

血縁

非血縁

N

非独居

75.0%

25.0%

20

独居

60.0%

40.0%

10

χ20.71 d.f.=1 p=0.40, 有意な差はない

 

 第3節 “プロダクティビティ”の内実

 

以上に見てきた「老年期における人生の転機」の分析を受けて、分析の第三段階として、“プロダクティビティ”に関する価値志向の大転換をみてゆく。“プロダクティビティ”の内実の分析である(表14〜表18参照)。第3章第2節でも触れたように、“プロダクティビティ”の内実を具体的に示すため、《経済的生産性》と《社会的生産性》の二つの理念型を用いて分析していきたい。そのうえで、本稿では、次のような作業仮説をたてた。

 

中年期に志向していた“プロダクティビティ”は経済的生産性である。しかし、定年退職など経験したあと、老年期に志向する“プロダクティビティ”は社会的生産性へと変容する。

 

第一に、現在の老年期において、仕事をして現金収入を得ている人は、仕事していない人に比べて、経済的生産性を志向していることが有意差となって示された(表14:p<0.001)。さらに、老年期に仕事をしていない人の82.8%は社会的生産性を志向している。第二に、中年期においては、仕事をしていたか否かに関わらず、経済的生産性を志向していた(表15:p=0.61)。注目すべき点は、中年期に仕事をしていない人であっても、その69.7%が経済的生産性に価値を見出していたことである。第三に、表16に示されるように、中年期に経済的生産性を目指していたが、老年期には社会的生産性を志向するように転換した人は、70.0%である。中年期も老年期も社会的生産性に価値観を見出していて、価値志向に大転換が見られなかった人は、76.5%である。だが、これらの間に有意差がない(表16:p=0.62)ことから、作業仮説は、さしあたり実証されたといえよう。

作業仮説を踏まえつつ、調査対象者に対して、『老人は生産性がない』という老いの固定観念をへの意見をうかがった。結果は、家族と同居していてもしていなくても、「そう思わない」という考えの方が多い傾向が確認された(表17:p=0.57)。

 それでは、最後の分析になるが、“プロダクティビティ”の具体的な内容を対象者の言葉で聞き取ったので、それを紹介しながら分析を深めてみる。

 TKさんは現在77歳であり、中年期には歯科技工士の仕事をしていた。その頃は入れ歯を大量に生産し、なるべく多く儲けるように心掛けた。だが、この経済的生産性の価値志向は定年退職を機に、社会的生産性へと変容した(経済的生産性から社会的生産性へと大転換した事例)。TKさんは、現在も歯科技工士として入れ歯を生産しているが、中年期と違って、儲けよりも、なるべく高齢者の歯に合うような「本物」を作りたいと考えている。例えば、何十年も入れ歯を作っていて気がつかなかったことがあり、すぐに工程に取り入れることができる。これは経済的生産性では不可能である。社会的生産性だからこそできると言う。

 TYさんは現在79歳で、中年期には高校教員をしていた。中年期も現在も、TYさんの価値志向は社会的生産性である(中年期から老年期までさほど変わらずに社会的生産性を志向した事例)。TYさんによれば、経済的生産性だけでは対処しきれないものが、切れ端として生まれてくる。だが、この切れ端を再生する方向に向ける係の人も必要である。この係こそが社会的生産性であり、老人を大いに活用できるということだ。

 

14 老年期に志向する“プロダクティビティ”

老年期の生産性志向

経済的生産性

社会的生産性

N

仕事していない

17.2%

82.8%

64

仕事している

75.0%

25.0%

8

χ213.18 d.f.=1 p<0.001

 

15 中年期に志向していた“プロダクティビティ”

中年期に志向していた生産性

経済的生産性

社会的生産性

N

仕事経験あり

75.0%

25.0%

40

仕事経験なし

69.7%

30.3%

33

χ20.26 d.f.=1 p=0.61, 有意な差はない

 

16 “プロダクティビティ”の変容

“プロダクティビティ”の変容

老年期に経済的生産性を志向

老年期に社会的生産性を志向

N

中年期に経済的生産性を志向

30.0%

70.0%

40

中年期に社会的生産性を志向

23.5%

76.5%

17

χ20.25 d.f.=1 p=0.62, 有意な差はない

 

17 老いの固定観念「老人は生産性がない」をどう思うか

老人は生産性がない

そう思う

そう思わない

N

非独居

40.0%

60.0%

70

独居

34.3%

65.7%

35

χ20.32 d.f.=1 p=0.57, 有意な差はない

 

 表18は、対象者10人による“プロダクティビティ”の内実を示したものである。経済的生産性からは、物質面を重視して、効率化や利益を最大化し、生活するためにかなり余裕がなく、無我夢中である様子が目に浮かぶ。他方、社会的生産性からは、精神面を重視して、公的領域にも配慮し、ゆとりが生み出されることにより、他者との対話や人の和を大切にする姿が想像される。これらの事例からも、先にあげた作業仮説が正しいことが裏づけられるだろう。(片桐資津子)

 

18 “プロダクティビティ”内実変容一覧

対象者

仕事

経済的生産性

社会的生産性

TK(77歳)

歯科技工士

なるべく多く儲ける

儲けよりも、なるべく良いものや本物を

AM(96歳)

青函連絡船

物質面を重視

精神面を重視

YM(75歳)

船舶設計士

人に喜ばれるもの

公的なことにかかわる

SI(75歳)

サラリーマン

無我夢中

社会貢献、能力を活かすこと

HT(89歳)

旧国鉄

金儲け

健康が前提、体を動かして働く、使命感

HM(82歳)

会社経営

利益を上げる、有形なもの

人の和、ゆとり、無形なもの

OT(80歳)

公務員

効率化、ニーズ対応

対話による他者への貢献

TY(79歳)

高校教員

上昇志向、受動的

お蔭様への返し、反省する余裕、能動的

KH(76歳)

公務員

まっしぐら、必死

何事もほどほどに、健康

NK(84歳)

民間企業

(技術部門)

飯を食うためのもの、事故をなくし機械をまわす、余裕がない

権利の尊重、

配慮、共存、自覚

(出典)聞き取り[1999年9月から2000年1月にかけて実施]をもとに、片桐が作成した.

 

 

第6章 おわりに──“プロダクティブ・エイジング社会”に向けて――

 

 以上までの分析結果を踏まえて、いくつか明らかにされたことをまとめておく。第一に、人間はいくら年齢を重ねても“プロダクティビティ”をもっている。ただし、中年期には経済的生産性を志向し、定年退職などの人生の転機を経て、老年期には社会的生産性に価値観を見出すように変化する傾向がある。この変化は、人間の生涯発達を福祉社会学の観点から考察するさいに、大きな手掛かりを与えてくれる。第二に、人生の転機で支えになる相手は、たとえ現在75歳以上の高齢者であっても、意外なことに、同居家族などの血縁関係だけとは限らない。仕事仲間や上司などの職縁関係や、近所の方などの地縁関係も含まれる。

 したがって、21世紀の“プロダクティブ・エイジング社会”に向けて、われわれは、「高齢者は非生産的だ」といった神話を排し、高齢者の社会的生産性が遺憾なく発揮できる場を作っていかなければならない。そのためにも、本調査において残された課題、人生の転機で支えとなった人間関係、社会関係の具体的な内実、例えば中年期の転機を支えた相手が老年期の転機のときにどう関わったかといった分析を、社会の歴史過程そのものの変動との相互連関性において具体的に積み上げなければならない。

(片桐資津子)

 

引用注

 

1)新村出編、『広辞苑』、1998、岩波書店。

2)金田一京助・佐伯梅友ら編、『新選国語辞典・第六版』、1990、小学館。

3)ちなみに、ランダムハウスの英英辞典(THE RANDOM  HOUSE DICTIONARY OF THE ENGLISH LANGUAGE, 1967)で“productive”を引くと、次のように定義されている。“1. having the power of producing; generative; creative, 2. producing readily or abundantly; fertile, 3. causing; bringing about,  4. Econ. Producing or tending to produce goods and services having exchanges value.”

4)野田信夫監修、『生産性事典』、1975、日本生産性本部。

5)J・シム、J・シーゲル(井堀利宏・粟沢尚志訳)『新経済学用語辞典』、1997、新世社。

6)「社会的生産性の概念は、実は労働生産性を追究するなかで獲得されたものであり、いわば生産性の発展型である。真に生産力を向上させるためには、生産の主体である労働者個人を理解することが不可欠である。」(『生産性事典』p.30)。

7)「プロダクティブ・エイジングとは、有償であれ無償であれ、商品やサービスを生み出す高齢者個人によって行なわれる諸活動、あるいはそういったものを生み出す能力を発達させる高齢者個人によって営まれる諸活動である。」[Scott A.Bass, Francis G.Caro, and Yung-Ping Chen,1993:6-7]。

8)「『生産性』とは、経済的には単位時間あたりの、個人または集団が産み出した物財あるいはサービス財のことである。ここでは、社会が認めるあるいは利益を受けるような種類の生産性であることが重要だ。……生産性とは、たんに物財をつくりだすことではない。本質的な意味で社会を豊かにすることである。仕事というものをもっと幅広い意味で考えるべきである」[R.バトラー編『プロダクティブ・エイジング』1985(岡本祐三訳1998):36-37]。

9)合理性を追求することにより報酬を得て誰かが得をすることは、裏を返せば、別の誰かが損をすることも含んでいる。従って、一部の人たちによる経済的生産性の追求は、マクロ的視点から観察すると、どこかに"しわ寄せ"がいくことを示唆する。経済的生産性を追求すればするほど、福祉政策が必要になる。これは、いわば車の両輪のような関係になっている。そこで、この"しわ寄せ"対策のために注目されるものが、社会的生産性や福祉生産性である。

10)函館区役所編、『函館区史』、明治44年7月。

11)平成7年度国勢調査「函館市の人口」。

 

参考文献

 

Bass, S. A., (Editor), et al, Achieving a Productive Aging Society, 1993.

Bond, L. A., Cutler, S. J., Grams, A. (Editor), 1995, Promoting successful and productive aging, SAGE Publications.

Butler,R.N.,1985,Productive aging : enhancing vitality in later life, Gleason, Herbert P.(岡本祐三訳,1998,『プロダクティブ・エイジング 高齢者は未来を切り開く』,日本評論社.)

Butler, R. N., et al, 1990, Promise of Productive Aging: From Biology to Social Policy, Springer Pub Co.

Collins, R., 1994, Four Sociological Traditions, Oxford University Press, Inc.(友枝敏雄代表訳, 1997, 『ランドル・コリンズが語る 社会学の歴史』, 有斐閣.)

Drucker,P.F.,1999, Management Challenges for the 21st century, Harper Business.(上田惇生訳,1999,『明日を支配するもの 21世紀のマネジメント革命』,ダイヤモンド社.)

Drucker,P.F.,1968, The Age of Discontinuity, Harper and Row.(上田惇生訳,1999,『断絶の時代 いま起こっていることの本質』,ダイヤモンド社.)

片桐資津子・小林甫,1999,「アメリカ高齢者の地域移動と生活変容」,『生涯学習研究年報』第6号,北海道大学高等機能開発総合センター生涯学習計画研究部,131-237.

Levinson, D.J., 1978, The Seasons of a man’s life, Alfred A. Knopf. (南博訳,『ライフサイクルの心理学 (上)(下)』,講談社学術文庫,1992.)

Neugarten, B.L. 1975, “Expanded options for meeting the differing needs of the young-old and the old-old”, Geriatrics, 30 (11): 41-52.

Ritzer, G., 1996, The Mcdonaldization of society, revised Edition, Pine Forge Press.(正岡寛司監訳, 1999, 『マクドナルド化する社会』, 早稲田大学出版部. )

 

謝辞

 

1999年9月の函館市における本調査には、北海道教育大学函館校の宇田川拓雄教授と、その研究室の大学院生・大和大介さん、学部学生の荒川和歌子、石川真由美、鈴木桜、余湖龍馬、渡会大輔さんたちに加わっていただいた。これらの方々の積極的協力なしに、この調査研究の成果を語ることはできない。記して感謝の念としたい。

(小林 甫・片桐資津子)

 

2000年1月31日