高齢者の地域移動から示される生活構造の変容と《老年危機》
―アメリカ地方紙“THE OREGONIAN”の「死者略歴欄」内容分析―
片桐 資津子
1. 問題の所在
生活構造(1)の変容には、例えば引っ越しといった居住地移動を含む地域移動(2)、身近な人間関係が変わるパーソナル・ネットワークの変化、病気や体調不良を含めた身体的異変、転職・昇進や退職といった仕事面での変化(3)、離婚・再婚といった家族関係の移り変わり、宗教歴などを挙げることができる。このように多義的な生活構造の変容に関して説明するために、D.レビンソン[1978=1992]は「過渡期」という概念を導入している。過渡期には、それまでの生活構造を終わりにして、新しい生活構造を築く可能性が生まれる。この時期に行なった選択は、生活構造に穏やかな変化あるいは激しい変化をもたらすことが分かっている。「離婚したり再婚したり、転職したり、引っ越ししたり、生活を修正して豊かにしてくれる新しい趣味をはじめたりする」[同:104、下線は筆者]。
本稿では、生活構造の変容のなかでも、とりわけレビンソンの指摘する「引っ越し」に注目する。具体的には、高齢者の「引っ越し」という地域移動に着目しつつ、これを、高齢者個人にとっての生活構造の大きな変容の一つと捉える。その上で、「引っ越し」という地域移動を行なう時期と、個人の人生における危機としての「過渡期」を結びつけて考察を試みる。本稿の問題関心は、高齢社会の総合認識をすすめる一環として、高齢者個人の地域移動に焦点を当て、生涯発達の観点から「老年期」における《老年危機》と《老年の最盛期》の存在可能性を男女別に実証することである。
2. D.レビンソンの「中年危機」を《老年危機》へと敷衍させる試み
2.1 D.レビンソンにおける「中年危機」と「中年の最盛期」
D.レビンソンは、フロイト、ユング、エリクソンといった心理学の先行研究に学びつつ「成人の発達の基本的原理」[同:19]なるものを、社会心理学的観点から学問的に解明しようと試みた。すなわち、成人したら人間の発達が終了してしまうのではなく、生涯にわたってそれが継続されるという立場である。これこそ、まさに生涯発達論の伝統的潮流であるといえよう。彼は「生活構造」というキイ概念を用いて「発達(development)」概念を次のように規定した。発達とは、自我や職業の発達といった生活の一面についての発達ではなく、「生活構造の発展(evolution
of the life structure)」[同:85]である、と。したがって、成人の発達を学問的に検討するためには生活構造に着目しなければならないというのがレビンソンの基本的アイデアである。この生活構造を作り上げている第一の要素は「選択(choices)」[同:89]であるが、選択の本質は人によって異なる。こういった特徴をもつ生活構造の本質を解明するには、人生の流れが具体的に把握できる個人史が有効である。そこで、レビンソンらは40人の男性の個人史を調べて、成人期の生活構造の発展が「安定期」(生活構造が築かれる時期)と「過渡期」(生活構造が変化する時期)の連続的反復過程であることを実証した(4)。
このように、人生全体でみれば、人は過渡期と安定期を繰り返し経験する。ただ、レビンソンは敢えて「人生半ばの過渡期」である「中年危機」に着目し、この危機が他のライフ・ステージとは質的に異なることを実証した。だが、これに付随して彼は人生最大の危機ともいうべき「中年危機」を乗り越えた先には「中年の最盛期」が安定期として存在するということも合わせて浮き彫りにした。このようなパラダイムに従って、レビンソンは中年期までの「成人の発達の基本的原理」を解明したのである。こういった一連の実績は、対象者を男性に限定してはいるものの、生涯にわたる「発達社会学」の基本的枠組み構築を試みる上で、大きなヒントを与えてくれると思われる(5)。
2.2 D.レビンソンに対する批判的検討―A.S.ロッシ、J.A.クローセン
しかし、レビンソンの知見に対する批判も存在する。例えば、A.S.ロッシは次のような批判的検討を加えている。レビンソンらの研究には中年期の「人々の生活の中では正確に何が、なぜ変化しているのかという問題は未解決のまま残されている」[187]、と。したがって、多くの中年男性に必ず「中年危機」が訪れ、これを乗り越えた先には必ず「中年の最盛期」が存在し、より充実した生活構造を安定化することができるという「標準的危機モデル」は適切ではない、とロッシは指摘する。なぜなら、レビンソンの「中年危機」概念には「危機の概念も確立していないし、原因の特定もなされていない」[188]のだから。
また、J.A.クローセンは、ライフコース論における「発達―社会化―適応」の観点から、レビンソンらの研究成果である「生活構造」、「発達課題」、あるいは「段階や時期」といういくつかの概念に対して次のような批判を向けている。人生には様々な推移が存在するが、その推移が危機になるときには、それはほとんど社会的役割と関係している。もし、中年危機について議論するならば、そこには「特定の年齢や時期に危機を促す典型的な出来事や、危機が実際に存在しているといえるような基準」[1986=1987:242]があるはずである。だが、レビンソンの概念にはそれがない。また、彼による生活構造の解体(過渡期)と、その後の新たな生活構造の再構築(安定期)の繰り返しという考えはおかしい、とクローセンは批判をしている。人間は状況の変化に応じて新たに適応して変化していくため、「壊れるよりも、むしろ曲がる」[同:243]という主張である。
この両者の批判は、レビンソンのキイ概念である「生活構造」の誤解によるところが大きいと考えられる。そこで、筆者なりにこれを整理すると次のようになる。まずロッシは、レビンソンの調査では危機が訪れる原因や理由が明確に提示されていないことに着目し、中年危機を「標準的危機モデル」と解釈している。しかしながら、これは誤った捉え方であると思われる。なぜなら彼女は、生活構造の内実が十人十色であるというレビンソンの指摘を無視しているのだから。あたかもすべての人間が一律に共通の生活構造をなし、その危機を共通にむかえているといった独自の解釈によって、これを「標準的危機モデル」という言葉で表現してしまっていることにも疑問がある。
次に、クローセンの批判は、個人の人生に危機をもたらすような共通の社会的基準や社会的出来事の視点がレビンソンには欠けているというものである。だが、レビンソンは「道標」[108]を、或る人の人生に著しい影響を与える出来事と定義して、クローセンのいう適応の観点だけでなく、発達の観点からも総合的に検討していく必要があるとも指摘している。例えば、戦争、災害、不況、離婚、病気、愛するものの喪失などが道標として考えられるが、人間はこういった出来事に単に適応していくだけではない。発達論におけるどの時期――成人前期、中年期、あるいは老年期――に道標をむかえ、それが個人の生活構造の発展にどんな影響を及ぼすのかについてまで、レビンソンは幅広く考慮している。
以上の考察により、二人の批判もレビンソンの「中年危機」や「中年の最盛期」を老年期にまで拡大する試みを阻むものではないので、本稿では基本的にはレビンソンのパラダイムを採用したい。
2.3 《老年危機》と《老年の最盛期》の存在可能性
そこで、レビンソンが明らかにした「中年危機」と「中年の最盛期」を敷衍させるかたちで、《老年危機》と《老年の最盛期》の存在可能性を実証することを試みる。さらにこの試みを男性だけでなく、女性をも射程に入れて男女比較というかたちで行ないたい。
表1にみるように、レビンソンは、ライフ・ステージを大きく「未成年期」(0歳頃〜17歳頃)、「成人前期」(18歳頃〜39歳頃)、「中年期」(40歳頃〜59歳頃)、「老年期」(60歳頃〜79歳頃)、「晩年期」(80歳頃〜)に分類して、各ライフ・ステージの発達期において発達段階に応じた細分を行ない、それぞれに名称をつけた。レビンソンは中年男性40人への生活史聞き取りにより、この細分を中年期まで行なったが、本稿ではこれを敷衍させて、老年期と晩年期にまで適用してみたい。これらをまとめると表1になる。
表1 レビンソンによる発達段階
ライフ・ステージ |
各発達期における発達段階 |
指標としての年齢 |
時期の性格 |
未成年期 |
― |
〜17歳頃 |
― |
|
成人への過渡期 |
18歳頃〜22歳頃 |
過渡期 |
成人前期 |
おとなの世界へ入る時期 |
23歳頃〜28歳頃 |
安定期 |
|
30歳の過渡期 |
29歳頃〜33歳頃 |
過渡期 |
|
一家を構える時期 |
34歳頃〜39歳頃 |
安定期 |
|
人生半ばの過渡期 |
40歳頃〜45歳頃 |
過渡期 |
中年期 |
中年に入る時期 |
46歳頃〜49歳頃 |
安定期 |
|
50歳の過渡期 |
50歳頃〜55歳頃 |
過渡期 |
|
中年の最盛期 |
56歳頃〜59歳頃 |
安定期 |
|
老年への過渡期 |
60歳頃〜65歳頃 |
過渡期 |
老年期 |
老年に入る時期 |
66歳頃〜69歳頃 |
安定期 |
|
70歳の過渡期 |
70歳頃〜75歳頃 |
過渡期 |
|
老年の最盛期 |
76歳頃〜79歳頃 |
安定期 |
晩年期 |
晩年への過渡期 |
80歳頃〜85歳頃 |
過渡期 |
|
人生の晩年期 |
86歳頃〜 |
― |
(出典)中年期まではレビンソン[1978=1992:111]により作成、老年期以降は片桐・小林による分類。なお、表中の老年期におけるゴシック体は、本稿で実証したい《老年危機》と《老年の最盛期》を示す。
このように本稿で実証したいことは、「人生半ばの過渡期」としての「中年危機」(40歳頃〜45歳頃)と「中年の最盛期」(56歳頃〜59歳頃)だけでなく、「人生後半の過渡期」ともいうべき《老年危機》(70歳頃〜75歳頃)と《老年の最盛期》(76歳頃〜79歳頃)の存在可能性である。
3. 調査の概要
3.1 死者略歴欄(OBITUARY INDEX)について
本研究の素材となったデータは、アメリカのオレゴン州・地元紙“THE
OREGONIAN”の「死者略歴欄(オビチュアリ・インデックス)」である。単なる「死者略歴」を“貴重な生活史データ”とみなしたわけである。
“THE OREGONIAN”紙は、必ず毎日1頁、ときには2頁にわたって「死者略歴欄」を掲載している。これは葬儀場や死者の遺族によって提出され、フリー・サービスで割り当てられたスペースに印刷されている(6)。例えば、1997年10月1日の死者略歴欄に掲載されていた人のなかから適当な人を男女一人づつ挙げてみたい。女性は90歳で亡くなったルシール.E.D.Bさん、男性は88歳まで生きたステファン.E.T氏である。
A funeral will be at 2 p.m. Wednesday,
Oct., 1997, in Riverview Abbey Funeral Home for Lucille E. DeCicco Benedetti,
who died Sept. 27 at age 90. Mrs. Benedetti was born Aug. 7,1907, in Proctor, Minn. Her
maiden name was Nubson. She lived in Portland since 1916 and was a homemaker.
She married Michael F. DeCicco in 1925; he died in 1963. She married Raymond
Benedetti in 1965. Survivors include her husband;
daughters, Gloria M.Aarseth of Hillsboro and Delores G. Dedrickson of
Beaverton; sister, Jean Dimmick of Gresham; 13 grandchildren; 14
grate-grandchildren; and two grate-grate-grandchildren. Private interment will be in Riverview
Abbey Mausoleum. The family suggests remembrances to Emanuel Children’s
Hospital. |
A memorial service will be at 10:30
a.m. Thursday, Oct., 1997, in Trinity Episcopal Cathedral for Stephen Eberly
Thompson, who died Sept. 28 at age 88. Mr. Thompson was born Nov. 10, 1908,
in Vancouver, Wash. He married Helen Malarkey in 1934. He served in the U.S.
Navy during World WarUand was a staff aide and flag lieutenant for Adm.
George D. Murray. He received a Bronze Star. He was an executive vice
president of M&M Plywood Co. of Portland and retired in 1956. He
previously was president of Douglas Fir Plywood Corp. in Tacoma. Mr. Thompson served on the boards of
the Medical Research Foundation of Oregon, the Pacific-International
Livestock Exposition, Portland General Electric Co, Lewis & Clark College
and the University of Portland. Survivors include his wife; sons,
Stephen of Sisters, George of Portland and Neskowin; and daughter, Victoria
Brockman of Portland and Gearhart. A daughter, Kitty Ellis, died in 1996. Interment will be in Riverview Abbey. |
3.2 調査対象者
1997年10月1日から10月30日までに、さきに紹介したようなかたちで「死者略歴欄」に掲載された797人のうち、60歳以上の方でグレイター・ポートランド地域(Metro
Area)で亡くなった方712人(男性351人、女性361人)を対象者とした。この月は全部で797人の死者略歴が紹介された。この期間のなかで、一番多い日で55人、少ない日で14人、平均して一日25〜26人であった。797人の死者略歴者のなかで、60歳以上の人は712人であるから、その比率は89.3%になる。
3.3 “個人史の基本軸”の設定とデータ分析
レビンソンは生活構造の内実を調べるために個人史の聞き取りを詳細に実施した。本研究ではこの方法に基本的に依拠して、個人史聞き取りの代わりに、一人ひとりの「死者略歴」記事の内容分析を行ない、ここから“個人史の基本軸”なるものを引き出して素データとした。“個人史の基本軸”とは、次のとおりである。すなわち、「@出生年→A出生地→B軍隊経験→Cポートランド来住年→Dポートランド来住理由→E来住時のライフ・ステージ→F来住時家族形態→G死亡時の配偶者の有無→H死亡時の遺族の有無→I死亡年齢」。
まず第一に、これら“個人史の基本軸”の10項目を独立変数として設定し、男女比較を念頭にクロス集計を行なった[片桐・小林1999:166-212]。これを受けて本稿では、さらに統計的検定を施し、“個人史の基本軸”のデータを基本的属性として把握し、男女間で有意差があるかどうか確認する(7)。
これを踏まえて第二に、中年期までの地域移動に着目する。すなわち、個人が「引っ越し」という地域移動を実施した年齢を、D.J.レビンソンが質的な方法で区分した発達段階の「指標としての年齢区分」に依拠して整理する。具体的には、彼が規定した中年期までの年齢区分において、「人生の過渡期には地域移動が多くなされ、安定期にはそれが少ない」ことを実証する。いわば、「中年危機」と「中年の最盛期」が存在する事実を示唆し、レビンソンのパラダイムへの依拠可能性を分析する。
第三に、老年期と晩年期の地域移動に着目する。すなわち、中年期だけでなく、老年期と晩年期においてもまた、「人生の過渡期には地域移動が多くなされ、安定期にはそれが少ない」傾向があることをデータから分析することを試みる。最終的には、《老年危機》と《老年の最盛期》が存在することを、データから示唆することになる。
4. データの分析結果
4.1 基本的属性について
表2から表5は“個人史の基本軸”を念頭において男女別にクロス集計したものである。サンプルの基本的属性について、男女比較を意識しつつ“個人史の基本軸”に沿ってみておこう。
まず、出生年に関して、1910年代までに生まれた対象者は、男性52.4%、女性65.7%であり、女性の方が多いことがわかる。逆に1920年代以降に生まれた対象者は、男性の方が多い。これは男女間で有意差が出ており、女性の長寿を裏づけている(χ2=9.13、d.f.=3、p=0.028<0.05)。次に出生地については、どの地域の出身者であっても、男女間で有意な差がほとんどみられなかった(χ2=1.65、d.f.=5、p=0.895)。ここからは、サンプルに偏りが少ないと判断できる。さらに、表2にみるように、軍隊経験に関しては、男女間で有意差が明確に出ている。「軍隊経験あり」の場合、男性が57.8%であるのに対し女性が1.9%で、圧倒的に男性の方が軍隊経験の多いことが分かる。
表2 軍隊経験
軍隊経験 |
あり |
なし |
N |
男性 |
57.8% |
42.2% |
351 |
女性 |
1.9% |
98.1% |
361 |
χ2=267.4 d.f.=1 p<0.001
次に、対象者のポートランド来住時の様子をみておこう。まず、来住年については、男女間の有意差は確認できないが(χ2=6.01、d.f.=4、p=0.199)、男女とも「1930〜40年代」に地域移動している様子が伺える。さらに、その理由に関して分析すると、男性は「仕事のため」が61.8%、女性は「創出家族のため」(夫の転勤に一緒に付いてくるためと想像できる)が28.0%となっており、男女で異なった理由により地域移動をしていることが読み取れる。また、「ケアされるため」の地域移動においては、男性8.1%、女性18.0%であり、男性よりも女性の方が、他の理由による地域移動と比較しても多い実態がある。一方で「リタイアのため」の地域移動は、男性8.5%、女性5.4%となっており、「ケアされるため」とは違って女性より男性の方が多い(χ2=63.64、d.f.=5、p<0.001)。
さらに、来住時の対象者のライフ・ステージを把握しておこう。男女間に有意差は認められないが(χ2=1.95、d.f.=3、p=0.583)、「成人前期」(18歳頃〜39歳頃)の地域移動が圧倒的に多い傾向が認められる。また、来住時の家族形態についても、表3において男女の間で有意な差はない(χ2=0.25、d.f.=2、p=0.882)。ただし、男女とも過半数は「創出家族と」ともにグレイタ−・ポートランド地域に来ている。
表3 来住時のライフ・ステージ
ライフ・ステージ |
未成年期 |
成人前期 |
中年期 |
老年期 |
N |
男性 |
33.9% |
38.0% |
14.9% |
13.3% |
316 |
女性 |
35.9% |
31.7% |
13.1% |
19.3% |
306 |
χ2=1.95 d.f.=3 p=0.583 有意差があるとはいえない
対象者の死亡時の様子も合わせて紹介しておこう。表4からは、対象者が亡くなったときの配偶者の有無がわかる。ここから“夫が妻に「先立って」亡くなり、妻が夫に「先立たれて」亡くなる”という姿が浮き彫りになる。さらに、配偶者に限定されない遺族一般の存在に関しても、男性の94.9%、女性の89.9%が「あり」で、男女とも遺族が存在する。ただ、男性に比べて女性のほうが遺族が存在しないケースが多い(χ2=6.55、d.f.=1、p=0.011<0.05)。最後に、平均寿命については、男性77.52歳、女性81.14歳、合計79.36歳であり、男女差が3.62歳と接近していた。
表4 死亡時の配偶者の有無
配偶者 |
先立つ |
先立たれる |
N |
男性 |
68.7% |
31.3% |
339 |
女性 |
26.4% |
73.6% |
341 |
χ2=122.20 d.f.=1 p<0.001
こうして“個人史の基本軸”に沿いながら、対象者の基本的属性を、男女比較を意識しつつ、その全体像を浮き彫りにしてきた。
以下では、「中年期」以降(40歳頃〜)に関して生涯発達の視点から、引き続き男女差を念頭に置きつつ、個人の「引っ越し」という地域移動に焦点を当てて、ポートランド来住時における対象者のライフ・ステージの分析をしていく。
4.2 生涯にわたる「過渡期」と「安定期」の連続的反復:D.レビンソンの実証分析
レビンソン[1978=1992]は徹底的に個人史を聞き取り、対象者の「生活構造」を分析することにより、各発達期における発達段階とその時期の性格(過渡期と安定期)を明らかにした[表1を再度参照]。以下の研究では、個人が居住地移動を含む地域移動を行なう時期が、人生において繰り返し現れる「過渡期」や「安定期」とどんな関連性があるかを模索する(8)。
図1は、対象者がポートランドに来住した年齢を、レビンソンによる発達段階にカテゴリー化して、その数を男女別に示したものである。この図をみて一目でわかることは、過渡期に地域移動が多くなされ、安定期には地域移動が少ない点である。ただし、この傾向は「人生半ばの過渡期」(40歳頃〜45歳頃)以降に当てはまることに注意しておきたい[逆に成人前期ではこれとは反対の傾向がみられる]。
4.3 《老年危機》と《老年の最盛期》の存在
レビンソンが質的に実証した「過渡期」を応用して、本研究では「引っ越し」という地域移動に焦点を当てて分析したところ、確かに、過渡期に地域移動が多い傾向が確認された。これはD.レビンソンによる「中年危機」と「中年の最盛期」の再確認になるであろう。さらに、老年期に敷衍させると、中年期だけでなく老年期においても、過渡期と安定期を繰り返していることが判明した。かつ、老年期だけに着目すると、中年期と同様、過渡期に地域移動が多くなされ、安定期に地域移動が少ない傾向がみられた。すなわち、「老年への過渡期」(第一過渡期)、「70歳の過渡期」(第二過渡期)、「晩年への過渡期」(第三過渡期)に地域移動が多くなされ、「老年に入る時期」、「老年の最盛期」には地域移動が少なくなっている[図2を参照]。この事実は、まさに《老年危機》と《老年の最盛期》が存在することを示唆していると考えられるが、今回の実証研究による新しい発見といえるのではなかろうか。
ただし、表5から、老年期における過渡期と安定期のむかえ方に関して、男女間に有意差が存在することが指摘できる。男性の過渡期における地域移動は81.0%で、安定期では19.0%である。一方、女性は過渡期に59.3%、安定期に40.7%が地域移動をしている。これらのデータ分析により、老年期においては、女性の方が男性に比べて、安定期においても多く地域移動を行なう傾向を確認することができた(9)。
表5 老年期における地域移動
老年期 |
過渡期 |
安定期 |
N |
男性 |
81.0% |
19.0% |
42 |
女性 |
59.3% |
40.7% |
59 |
χ2=5.30 d.f.=1 p=0.021<0.05
さらに、老年期にポートランドに来住する理由別の分析も行なった[図3、4を参照]。主に、ケアされることを目的としてポートランドに移り住む「ケア・来ポ者」と、仕事を退職した後で移り住む「リタイア・来ポ者」の二つのタイプである(10)。一方で、「ケア・来ポ者」は、前述した第二過渡期と第三過渡期に地域移動しているケースが男女とも多い傾向がある。他方で「リタイア・来ポ者」の数は、第一過渡期に地域移動している場合が男女とも多いといえる。
5. 考察と結論
以上の男女比較を念頭に置いた分析結果から、次の四つの点が明らかになった。第一に、基本的属性の分析結果より、老年期以降の地域移動が、成人前期や中年期を含めた全体の地域移動からみると少数派であることが分かった。男女間の有意差は確認できなかったが、とりわけ男性によるこの時期の地域移動の少なさが顕著である傾向は読み取れた。また、地域移動する個人的な理由に関しては、女性は「ケアされるため」が多く、男性は「リタイアのため」が多い事実が浮き彫りになった。
第二に、生涯発達の観点からは次のことが判明した。すなわち、「中年期」における「人生半ばの過渡期」(40歳頃から45歳頃まで)以降から、過渡期と安定期を4〜6年単位で交互に繰り返し、かつ「引っ越し」という地域移動を行なうケースも、過渡期には多く安定期には少ないという傾向が確認された。こういった傾向を再確認する理由は、生活構造の変容する契機を「引っ越し」に限定してはいるものの、レビンソンらによる発達段階のパラダイムに依拠できることを主張するためである。
これを踏まえて第三に、「老年期」に焦点を当てても、このような傾向が同様にみられることが示唆された。その上、中年期における「中年危機」と「中年の最盛期」の存在だけでなく、老年期における《老年危機》と《老年の最盛期》の存在可能性が、データから浮き彫りにされた。例えば、男女とも《老年の最盛期》(76歳頃から79歳頃まで)が最も地域移動が少なくなっている。このような事実から推察されることは、この時期を過ごす人たちが、当面の発達課題をクリアして自分が没頭すべき生き甲斐などを持ち、最も安定した「生活構造」を築いているためと考えられる。
「老年期」に地域移動した人の過渡期は主に三つ(第一過渡期〜第三過渡期)あるとさきに分類したが、「リタイア・来ポ者」は第一過渡期(60歳頃〜65歳頃の「老年への過渡期」)に最も多く地域移動し、「ケア・来ポ者」は第二過渡期(70歳頃〜75歳頃の「70歳の過渡期」=《老年危機》)と第三過渡期(80歳頃〜85歳の「晩年への過渡期」)の両時期に多く地域移動をする傾向がある。前者は男性に多く、後者は女性に多くみられた。この事実が示すことは、同じ「老年期」における過渡期とはいっても、その内実が大きく異なっている可能性があること、すなわち乗り越えるべき発達課題の内実の差異である。「リタイア・来ポ者」の発達課題は、仕事を辞めることにともなう「役割縮小過程」[金子1993:41]の認識とその解決であり、「ケア・来ポ者」の発達課題は、身体の老化現象にともなう「物理的身体の可逆的・不可逆的異変」に対する養生獲得である[片桐1998]と考えられる。
最後に明らかになったことは、老年期において、女性の地域移動は過渡期に限らず安定期でも多く、男性の地域移動は過渡期に多く安定期には少ないという実態である。この点に男女間で有意な差が明確に表れた。ここから、老年期において、女性は生活構造が安定した状況での地域移動を多く経験し、男性は生活構造が不安定な状況での地域移動を多く経験する、という解釈が得られる。これを踏まえると、女性の方が男性よりも、乗り越えるべき発達課題との絡みからも、比較的余裕をもった「引っ越し」を行なう傾向があるといえよう。
6. 研究成果と今後の課題
生涯発達論における各発達期の「過渡期」を、「引っ越し」という地域移動を行なう時期に重ね合せて検討してきた。「引っ越し」という要素は過渡期における「生活構造」の変容の一契機であるにもかかわらず、過渡期には引っ越しのケースが多く安定期にはそれが少ないという傾向が把握されたことは、本研究における一つの成果であると考えてよい。なぜなら、D.レビンソンが質的に実証した「中年危機」と「中年の最盛期」を、ここでは質的データの大量分析により裏づけ、さらにそれを老年期にまで敷衍させて《老年危機》と《老年の最盛期》の存在可能性を示唆したからである。
しかし、「死者略歴欄」のデータ自体の情報に限界があるため、老年期における第一過渡期、第二過渡期、第三過渡期の内実の違いを、本研究では具体的に示すことができなかった。これは大量調査の限界である。また、過渡期をむかえるのは何も「引っ越し」という地域移動に限ったことではなく、他にも様々なかたちで過渡期をむかえることが予想される。この意味からも、今後とも質的調査を行なう必要がある。例えば、男性の場合、中年期まで会社組織のなかで、合理性や効率性といった経済学的《プロダクティビティ》に価値志向を見い出していたが、リタイア後に如何にしてその価値志向を、社会学的《プロダクティビティ》(11)に転換させていくか。そのさい、高齢者研究の立場から、一方で《老年危機》を人生後半の「過渡期」と位置づけ、他方で《老年の最盛期》を老年期における「安定期」と位置づける。《老年の最盛期》の「生活構造」の内実を“プロダクティブ・エイジング”における社会学的《プロダクティビティ》として把握し、インテンシィブな調査によってこの本質を明らかにすることを今後の課題としたい。
[脚注]
(1)日本における「生活構造」の概念もきわめて多様であるが、一般には次の三つの領域、@社会政策的領域、A生活体系論的領域、B都市社会学的領域、に分類することができる。まず、@社会政策的領域における「生活構造」概念の成立は最も古い。名付け親ともいうべき篭山京[1943]は、1日24時間の生活が構造をなすとし、1日を労働、休養、余暇時間に分類した。次に、A生活体系論的領域においては、副田義也[1971]の生活構造の循環式というアイデアがある。生活を生命の生産であるとし、「生命の生産→生命の消費→生活手段の生産→生活手段の消費→再び、生命の生産→……」という循環式を「生活構造」と規定した。最後に、B都市社会学的領域における鈴木広[1976]では、個人や家族を生活主体に位置づけ、「生活主体が文化体系および社会構造に接する、相対的に持続的なパターンである」としている。だが、本稿ではD.レビンソン[1978=1992]の規定する「生活構造」概念に依拠する。それによると生活構造とは「ある時期におけるその人の生活の基本パターンないし設計」[85]である。この概念を用いるさいには「自己と外界の両方を、そしてその相互関係を考えに入れなければならない」[85]。さらに、生活構造が発展していく様子を調べるには「個人史の形」[87]をとるのがよい。「生活構造の中心に置かれる要素は一つないし二つ」[90]であり、それ以外は周辺に置かれるという。
(2)地域移動とは、「出身地(15歳の頃住んでいた場所)と現在の居住地の間の移動」[塚原・小林、260]のことである。地域移動を議論するさいの軸として、彼らは「移動の方向」と「移動距離」の二つを用いている。前者については「郡部から都市へという流れ」が典型的であり、後者に関しては、近距離移動と長距離移動が有名である。本稿では、データの特質上、ポートランド市を含めて、地方紙“The
Oregonian”を中心的に購読する地域を「ポートランド大都市圏」あるいは「グレイター・ポートランド地域」であると規定した。その上で、ポートランド大都市圏への来住者を、近距離移動や長距離移動の如何によらず「来ポ者」とし、これを地域移動とみなした。また、ポートランド大都市圏内を移動する者は定住者として把握し、これは地域移動とみなさなかった。
(3)これは階層移動に含まれる。こういった階層移動は、地域移動とともに社会移動の一部としても位置づけることができる[三浦、63]。社会移動とは「個人の社会的地位の変化」であると定義される。したがって、その移動が上昇か下降かということが問題になる。だが本稿においては、「死者略歴」というデータの制約上、その階層移動が上昇移動であるか、あるいは下降移動であるかに関する分析はしなかった。
(4)「安定期」は「社会に地歩を固める」[レビンソン・訳:250]といったメンテナンス(維持)であり、「過渡期」は「向上に励む」[同]といったパフォーマンス(業績)であるという具合に組織論におけるリーダーシップ論と重ね合わせることもできるであろう。
(5)レビンソンは、妻のジュディと共に、女性の生涯発達についても綿密な実証調査[1996]を行なっている。それによると、彼らは調査対象者を、専業主婦とキャリア・ウーマンの二タイプに分けて設定し、女性の発達段階が基本的に男性のそれと同じであると結論づけている。
(6)新聞社への問い合わせによると、グレイタ−・ポートランド地域で亡くなった人のほぼ99%が「死者略歴欄」に届け出ていると考えてよい。
(7)本稿の分析は、基本的には事例分析である。だが、事例の量が多い反面、個々の情報は少ないという限界をもつ。これを補うために統計的検定をほどこした。
(8)ただし、引っ越しをする人がすべて人生の過渡期的状況にあるわけではない。安定期であっても引っ越しを行なうことは当然である。だが、本稿では、生活構造の変容という「人生の過渡期」をひき起こすような様々な契機のなかでも、とりわけ「引っ越し」という地域移動に焦点を絞ることを行なった。
(9)レビンソンらの研究によると、発達段階は男女とも同じ区分である[1996]。つまり、図1の発達段階は、男性にだけではなく女性にもまた適用できる。したがって、ここでは男女差の分析が可能になる。
(10)老年期以降における地域移動の理由を、この2つのタイプ(「ケア・来ポ者」と「リタイア・来ポ者」)に絞って分析をしたのは、これら両タイプが老年期の地域移動における他のどんな理由よりも際立っていたためである。
(11)「プロダクティブ・エイジング」の概念はR.バトラーによって提唱された。これは、高齢者が賃金労働しないため非生産的存在であるといったような、神話としての高齢者像への異議申し立てである。逆に、むしろ、若いときから豊かに培ってきた資源を使って、広く社会を豊かにできる存在であるという主張である。この考え方こそが「プロダクティブ・エイジング」である。筆者の課題の一つは、こういった、高齢期におけるプロダクティビティに焦点を当て、綿密な実証調査により、これに内実を与えることである。
[文献]
[1]A.S.Rossi,“Aging and
parenthood in the middle years” in Paul B. Baltes, and Orvile G. Brim,Jr.(eds.),Life-Span Development and Behaveior,1980,Vol.3,pp.137-205,Academic
Press.(東洋・柏木恵子・高橋恵子編集/監訳1993『生涯発達の心理学』第3巻『家族・社会』新曜社).
[2] D. J. Levinson,1978, “THE
SEASONS OF A MAN’S LIFE”, New York : Knopf.(南博訳1990, 『ライフサイクルの心理学(上)・(下)』講談社学術文庫).
[3]D. J. Levinson,1996, “THE SEASONS OF A
WOMAN’S LIFE”,Ballantine Books.
[4]副田義也著1971『生活構造の理論』有斐閣.
[5] John A. Clausen ,1986, “The
Life Course: A Sociological Perspective”, Prentice-Hall (佐藤慶幸・小島茂訳1987『ライフコースの社会学』早稲田大学出版部).
[6]篭山京著1943『国民生活の構造』長門屋書房.
[7]金子勇著1993『都市高齢社会と地域福祉』ミネルヴァ書房.
[8]片桐資津子著「長寿化する女性の〈自己表現〉にみるプロダクティビティ―長寿化における「装い」と〈親密な他者〉の観点から―」(1998年度、修士論文).
[9]片桐資津子・小林甫 共著1999「アメリカ高齢者の地域移動と生活変容―『ジ・オレゴーニアン』紙の「オビチュアリー・インデックス」分析―」『生涯学習研究年報』No.6、131-237,北大高等教育機能開発総合センター生涯学習計画研究部.
[10]三浦典子「コミュニティにおける土着と流動」63-89、鈴木広編1978『コミュニティ・モラールと社会移動の研究』アカデミア出版会.
[11]三浦典子・森岡清志・佐々木衛編1986『リーディングス日本の社会学5 生活構造』東京大学出版会.
[12]R.M.ラーナー・N.A.ブッシュ=ロスナーガル著1981,
“Individuals as puroducers of their development” Academic Press,=上田礼子訳1990『生涯発達学 人生のプロデューサーとしての個人』岩崎学術出版社.
[13]鈴木広著1976『社会学概論』有斐閣.
[14]塚原修一・小林淳一「社会階層と移動における地域の役割―出身地と居住地―」232-271、富永健一編1979『日本の階層構造』東京大学出版会.