福祉社会学における「生産性」概念

 

鹿児島大学 片桐資津子

 

1.問題関心

 

 本稿の目的は,経済学で一般に使われる労働生産性[1]をはじめとする「生産性」概念を,多面的に検討していくなかで,最終的には,「福祉生産性」[2]ともいうべき生産性の内実を具体的なかたちで提案し,かつその実質的意味を示唆することに在る。「福祉」と「生産性」とは,一見したところ無関係のように思われる。だが,実際にはそうではない。なぜなら,広義の意味での福祉概念には,「幸福」あるいは「良い状態にあること」(well-being)といった意味がその根底に存在するからであり,かつ,生産的な労働における生産性向上とは,経済活動を通じて日本国民の「生活の質」(QOL)を向上させ,国民一人一人が物質的あるいは精神的に豊かになることを目標としてきたからである。

 しかしながら,いったい何故,わざわざ「福祉生産性」なる概念を提起する必要があるのか。その理由は,生産的な福祉社会の在り方を部分的にでも示すことができれば,21世紀に突入してからも確実に進展する少子高齢化への備えとなるからである。とりわけ,日本全体の合計特殊出生率[3]1.34まで下がり,日本社会における急激な少子化の勢いは留まることを知らない[4]。労働力人口が減少することによって日本の経済成長に悪影響を及ぼすのではないか。あるいは,さらなる高齢化の進展により社会保障分野における現役世代の負担が増大するのではないか。こういった少子化現象の悲観的な見方もなされている[5]。この種の懸念は当然といえよう。だが,そのままで終わらせてはならない。むしろ,「福祉生産性」を探索するプロセスのなかにこそ,少子化の本質が隠されているのではないか。

 以上のような問題関心から,本稿では,「福祉生産性」なる概念を吟味していくが,まずは「生産性」概念の整理をすることから始めたい。具体的には,核心により深く迫るため,理念型としての生産性を,「経済的生産性」と「社会的生産性」に分類し,データの分析結果を参考にしながら両者の関連を探る。第二に,福祉概念を狭義と広義に分けて検討する。ここでは「弱さ」と「潜在能力」とが福祉と如何なる関係性を持つか――これが論点になる。さらに第三に,本稿のキーワードである「福祉生産性」のコンセプトを「生産性」概念に位置づけることを試み,これを高める条件を探訪する。最終的には,少子化社会における生産的な福祉社会の在り方を探ることになる。

 

2.生産性概念の整理

 

まず始めに,「生産性」にまつわる一般的な意味の確認をしておきたい。生産,あるいは生産性という言葉をいくつかの辞書で引いてみると次のようになっている。第一に,『広辞苑 第五版』によると,生産性とは,「生産過程に投入された一定の労働力とその他の生産要素が生産物の産出に貢献する程度」となっている。生産的については,「@生産に関係のあるさま,A物事に役立つさま,建設的」,と説明されている。第二に,『新選国語辞典 第六版』によれば,生産とは,「@物を作り出すこと,A自然物に手を加えて,物を作り出すこと」であり,生産性とは「生産の能率」である[6],と解説される。要するに,生産性とは,生活していく上で人々が必要とする物やサービスを生み出す能率,あるいはそれが自他ともに役立つことを行なう能率である,とまとめられよう。

 

1)経済的生産性と社会的生産性

 

 次に,先行研究における学問的定義をみておこう。『生産性事典』[7]によれば,生産性とは,数量化志向を前提にするものであり,「生産物を生産諸要素の一つで除した産出量と投入量との比率で示される」(p.476)。つまり,『生産性=産出量(アウトプット)÷投入量(インプット)』である。この式は,投入量であるインプットに対して,産出量であるアウトプットが多いほど生産性が高い,と解釈される。また,生産諸要素には,資本,労働,そして資源があるため,ここから,生産性概念は,資本生産性,労働生産性,そして資源生産性に分類できる。しかし,経済学で一般的に使われる生産性は,普遍性をもつという意味から,労働生産性であるとされている(p.476)。このような背景を踏まえて,『新経済学用語辞典』[8]で生産性を調べると,確かに,「労働時間当たりの産出量」となっており,これは経済学的な観点からの生産性として位置づけられよう。

 他方,社会学的な観点からの生産性概念も存在する。「社会的生産性」や「福祉生産性」と呼ばれるものがそれである[9]。これらの概念は,「物的な生産性向上だけでなく,人間のいきがいや社会福祉の増大を図る」(p.31)ことをも示唆している。社会的生産性とは,いわば,物質的豊かさだけではなく,身体的,精神的,あるいは人間関係的な豊かさをも射程に入れた概念だといえよう。

このように理解すれば,社会的生産性の概念が,R.バトラーが提唱する「プロダクティブ・エイジング」[10]の考え方に繋がっていることに辿り着く。この立場では,「生産性」概念を,「本質的な意味で社会を豊かにすること」であると提起[11]して,前述の経済的生産性よりも広い意味で捉えている。

ここで見方を変えて,生涯発達論の観点から生産性を概観するとどうなるか。生涯発達論では,個人の生産性が人生における中年期にその頂点を極め,その後は年齢とともに一律に衰えていくとは“捉えない”。むしろ,中年期を乗り越え,高齢期に至ってより豊かに獲得できる資質が社会的生産性であると解釈する(片桐・小林,1999)。その具体的な姿は,経験知や実践知を兼ね備えた“知恵袋”に象徴される。社会的生産性における仕事の中身は,有償労働だけではなく,ボランティア活動といった無償労働をも含んだ,幅広いものとして理解される。したがって,プロダクティブ・エイジングの考え方は,「高齢者は非生産的な存在である」といった根拠のない固定観念を排し,高齢社会において高齢者個々人が身につけてきた人生経験を含む比類なき知恵を,社会資源として活用させることの重要性を示唆するといえよう。

 以上にみたように,生産性概念に関する一般的な定義と学問的定義の双方を踏まえ,理念型としての生産性概念を次の二つに分類したことを再度確認しておく。一つは,「経済的生産性」であり,もう一つは,「社会的生産性」である。経済的生産性とは,効率,合理性,あるいは能率を重視するような,金銭の尺度で測定可能なものを意味する。これは,組織全体の経済的利益を最優先に配慮する。コスト削減を究極の目標にしており,そのためには非人間的な規律による統制も許容し,当然のことながら,労働者の脱人格化をも厭わない。さらには,生産現場におけるあらゆる事態への予測や計算が可能であることも要求され,経済的生産性を向上させるためには,状況によっては,ロボット化した労働者像が望ましいとされることもある(リッツア・訳書,pp.58-60)。

他方,社会的生産性とは,広く社会一般への豊饒性や,他者への有用性など,金銭では測れず目に見えにくいものを意味する。いわゆるムダをムダとして認識せず,逆にムダのなかにこそ有益さを見出す。結果よりもその過程を重視し,豊かな人間関係を土台にして,個々人が持つ様々な資質を自他のために流通させる。「生活満足度」もしくは「人生満足度」を最大化にする働きをするもの――これが社会的生産性の中身である。

 では,次に,この二つの生産性概念を用いて,合理性や効率性を目標とする経済的生産性のみを追求し続けることが,実は,個人や組織にとって限界があることを,「限定された合理性」の視点から考察し,経済的生産性と社会的生産性との関連を浮き彫りにすることを試みる。

 

2)経済的生産性の限界を補完する「社会的生産性」

 

 「限定された合理性」とは,合理性のパラドックスや限界を説明するための概念であり,H. A. サイモンは,これを,「個人が合理的でいられる能力の限界」(R.コリンズ・訳書,p.159)と表現している。逆説的のようだが,「最大化」を目指すことは,すべての選択肢を考慮せねばならないという意味でそれがコストになり,かえって非合理的になる。だが,個人の認識枠のなかで「満足化」を求めるならば,そのようなコストが生まれない分,より合理的になる。つまり,理想的な経済主体が行なうものが最大化であり,現実的な生活主体が行なうものが満足化である[12]。要するに,「諸個人は,完全な数学的合理性にもとづいてではなく,認知的な制約のもとで動いている」(訳書,pp.166-167)。

合理性を追求することにより報酬を得て誰かが得をすることは,裏を返せば,別の誰かが損をすることをも含んでいる。従って,一部の人たちによる経済的生産性の追求は,巨視的視点から観察すると,どこかに“しわ寄せ”が及ぶ可能性があることも否めない[13]。ゆえに,経済的生産性を追求すればするほど,福祉政策が必要になる。これは,いわば自動車の両輪のような関係といえよう。

 上記を踏まえて,「経済的生産性の限界」を考えてみたい。経済的生産性を志向する個人は,企業や業界といった組織のなかで,合理性や効率性といった価値志向のもとで労働,もしくは活動している。特に,肉体労働者の場合,画一性や迅速性が要求されて,思考力が奪われることが多い。なぜなら,最大化を目指す経済的生産性の価値志向では,労働者個々人の思考力が組織全体のコストとみなされるのだから。しかしながら,労働者個々人から思考力を奪うことは,個人としての生涯発達を考える上でマイナス要因となる。したがって,経済的生産性の限界とは,主体から思考力を略奪することであるいえよう。

そこで,この限界を補完するものが,社会的生産性[14]である。労働者はこの生産性を志向することによって,これまでに略奪された思考力を取り戻し,創造性や想像性のベースになる創発性や内省性を授かる。これは、単に労働活動の側面からだけでなく,人間性の側面からも把握するもので,「生産性の精神」といわれている。「生産性の精神は,模倣の精神を探求の精神に変え,消極的な批判精神を建設的な批判精神に変え,抽象的推理を具体的経験に変えるひとつの精神状態であり,進歩の意志である」(『生産性事典』,p.30)。とりわけ,「模倣から探求へ」,「消極的批判精神から建設的批判精神へ」,そして「抽象的推理から具体的経験へ」の変容プロセスに着目すると,生産性の精神は生涯発達論に重要な示唆を与えてくれる。要するに,労働者個々人が,その精神を,経済的生産性から社会的生産性へと変化させていく過程が,「プロダクティブ・エイジング」であるといえよう。

以上の概念を,対照性を際立たせるかたちでまとめると表1のようになる。

 

1 理念型としての「生産性」概念の整理

経済的生産性

社会的生産性

労働時間

当たり

産出量

「本質的な意味で

社会を豊かにすること」

「自分の人生を

自分でコントロールするセンス」

R.バトラー・訳書,1998)

企業・職域志向型の

生活構造

家族・地域志向型の

生活構造

合理性や効率性により思考力が略奪

思考力の回復により創造性・想像性や創発性・内省性を獲得

模倣

探求

消極的批判精神

建設的批判精神

抽象的推理

具体的経験

出典:『生産性事典』をもとに作成.

 

3)経済的生産性から社会的生産性への人間発達的変容─―北海道函館市における高齢男性へのヒアリング調査[15]から

 

 さらに,経済的生産性と社会的生産性の関連を,より具体的なかたちで実証的なデータ分析の結果に基づいて示してみたい。「生産性」の具体的な内容を聞き取ったので,それらを対象者の言葉で紹介しながら内容分析を実行していく。

 TKさんは調査を実施した当時77歳であり,中年期には歯科技工士の仕事をしていた。その頃は入れ歯を大量に生産し,なるべく多く儲けるように心掛けた。だが,この経済的生産性の価値志向は定年退職を機に,社会的生産性へと変容した(経済的生産性から社会的生産性へと大転換した事例)。TKさんは,今でも歯科技工士として入れ歯を生産しているが,中年期と違って,儲けよりもなるべく高齢者の歯に合うような「ほんもの」を作りたいと考えている。例えば,何十年も入れ歯を作っていて気がつかなかったことがあり,すぐに工程に取り入れることができる。これは経済的生産性では不可能である。社会的生産性だからこそできる。

 TYさんは調査を実施した当時79歳で,中年期には高校教員をしていた。中年期も,そして高齢期においても,TYさんの価値志向は社会的生産性である(中年期から高齢期までさほど変わらずに社会的生産性を志向した事例)。TYさんによれば,経済的生産性だけでは対処しきれないものが,「切れ端」として生まれてくる。だが,この「切れ端」を再生する方向に向ける係の人も必要である。この係こそが社会的生産性であり,老人を大いに活用できるということだ。

 表2は,さきに紹介した方も含めた対象者10人における「生産性」の具体的な中身を示している。経済的生産性からは,物質面を重視して効率化や利益を最大化し,生活するためにかなり余裕がなく,無我夢中である様子が目に浮かぶ。他方,社会的生産性からは,精神面を重視して公的領域にも配慮し,ゆとりが生み出されることによって他者との対話や人の和を大切にする姿が想像される。

ここで,分析結果から明らかになったことをまとめておく。人間はいくら年齢を重ねても「生産性」をもっている。ただし,中年期には経済的生産性を志向し,定年退職などの人生の転機を経て,高齢期には社会的生産性に価値観を見出すように変化する傾向がある。企業・職域志向型の生活から家族・地域志向型の生活への移行である(片桐・小林,2000)。この変容は人間の生涯発達を福祉社会学の観点から考察するさいに,大きな手掛かりを与えてくれる。

 

2 「生産性」内実変容一覧

対象者

仕事

経済的生産性

社会的生産性

TK(77歳)

歯科技工士

なるべく多く儲ける

儲けよりも,なるべく良いものや本物を

AM(96歳)

青函連絡船

物質面を重視

精神面を重視

YM(75歳)

船舶設計士

人に喜ばれるもの

公的なことにかかわる

SI(75歳)

サラリーマン

無我夢中

社会貢献,能力を活かすこと

HT(89歳)

旧国鉄

金儲け

健康が前提,体を動かして働く,使命感

HM(82歳)

会社経営

利益を上げる,有形なもの

人の和,ゆとり,無形なもの

OT(80歳)

公務員

効率化,ニーズ対応

対話による他者への貢献

TY(79歳)

高校教員

上昇志向,受動的

お蔭様への返し,反省する余裕,能動的

KH(76歳)

公務員

まっしぐら,必死

何事もほどほどに,健康

NK(84歳)

民間企業

(技術部門)

飯を食うためのもの,事故をなくし機械をまわす,余裕がない

権利の尊重,

配慮,共存,自覚

出典:北海道函館市における聞き取り[1999年9月から2000年1月にかけて実施]をもとに作成.

 

3.福祉に関する概念整理

 

これまでの議論において,生産性概念の整理を綿密に行なうことができた。以下では,福祉概念の整理をしていこう。

 

1)「狭義の福祉」と「広義の福祉」

 

 今や日常生活の中で福祉という言葉を耳にしない日はない。政治や経済においては勿論のこと,衣食住やスポーツといったレジャーの領域にまで福祉に関する情報が浸透している。だが,福祉とは実際には何を意味するのか。

 まずは,福祉という言葉の持つ意味合いを概観していくことから始めよう。『広辞苑 第五版』で「福祉」を調べてみると,「幸福,公的扶助やサービスによる生活の安定,充足」となっている。同様にして,「幸福」を引いてみると,「心が満ち足りていること,しあわせ」と解説している。念のため,「幸せ」についてより深く点検してみると,同じ音である「仕合せ」との関連性を発見できる。その意味内容は,「@めぐりあわせ,機会,天運,Aなりゆき,始末,B幸福,幸運,さいわい[16],運が向くこと」である。次に,「福祉」を『大辞林第二版』で引くと次のように書かれている。「特に,社会の構成員に等しくもたらされるべき幸福」である,と[17]

 前記を鑑みると,福祉とは,一方では,「公的扶助やサービスによって生活が安定して充足している望ましい状態」を意味し,他方で,「幸運に恵まれている状態,あるいは人生満足度が高く自己実現に向かっている状態」を含蓄しているといえよう[18]

 さらに,英英辞典[19]で福祉に関連深いと思われる次の三つの言葉を探索してみた。「福祉(welfare)」,「幸福(happiness)」,そして「ウェル・ビーイング(well-being)」である。第一に,「福祉」とは,「@主に富や財産といった幸運に関してうまくいっている状態,幸福,良い状態にあること,あるいは繁栄や成功,A窮乏者のための収入や必要物の形をした助け,このような助けを分配するための機関,あるいは催し[20]」となっている。第二に,「幸福」についてはどうか。これは「@幸運;繁栄や成功,A良い状態にあり満足していること;喜び,楽しくて満足するような体験,B至福,適切なこと[21]」と説明される。そして最後に,「ウェル・ビーイング」は「幸福,健康,あるいは繁栄している状態;福祉[22]」と書かれている。

これらを踏まえつつ整理すると,「狭義の福祉」と「広義の福祉」に分類できる(表3を参照)。すなわち,前者は「社会的‘弱者’への資源援助がなされていること」であり,後者は「自己‘潜在能力’を活かされていること」,あるいは「自己実現を含めた人間幸福が達成されている状態」である。狭義の福祉である「資源援助」には,不足している資源をマイナスからゼロへと埋めていくような要素が認められ,「広義の福祉」である「自己実現」には,すでに潜在的にある資源をゼロからプラスへと積み上げていくような要素が確認できるだろう[23]

勿論,社会保障といった福祉制度と密接に関わっているのは,前者の「狭義の福祉」のほうである。なぜなら,国家の社会政策によって資源分配をなるべく平等に近い状態へと近づけることを目標にするのだから。高齢者,身体障害者や精神障害者,あるいは不幸な境遇にある児童といったような,マイナス資源をより多く持っているため社会的「弱者」であると一般に判断されている人々が目に浮かぶ。これに対して,広義の福祉は生活の質を向上させることや,人間が自己「潜在能力」を開花させてより豊かに存在すること――「ゼロからプラスへ」に主眼をおく。そのためかいわゆる社会的弱者という印象は受けない。この違いは見逃せない。

そこで,福祉概念にさらに接近するために,とりわけ「狭義の福祉」において特徴的な「弱さ」と,「広義の福祉」で特徴的である「潜在能力」とが,「福祉」概念とどのように結びついているか考えていきたい。

 

3 理念型としての「福祉」概念の整理

狭義の福祉

広義の福祉

公的扶助やサービスによって

生活が安定して充足している望ましい状態

幸運に恵まれて

自己実現に向かって満足している状態

社会的弱者への資源援助

がなされていること

自己潜在能力を活かされていること

自己実現を含めた人間幸福が達成されている状態

マイナスからゼロを目指す要素

ゼロからプラスを目指す要素

 

2)「弱さ」と福祉――松岡正剛と金子郁容における「弱さ」に関する議論から

 

 まずは「弱さ」のほうからみていこう。福祉の歴史を通覧すると,太平洋戦争の前後である1940年代から50年代に絶対的貧困から脱却し,60年代に高度経済成長へと時代が流れていくなか,障害者福祉,児童福祉,あるいは高齢者福祉など,一般的に「社会的弱者」と認識されている人々への社会保障制度が,様々な問題を孕みながらも発展を遂げてきたことが分かる。その後,日本は高度経済成長の時代を過ごし,世界レベルで物質的豊かさを獲得したが,90年代には,バブル経済の崩壊を経験して,福祉に関する諸制度は「措置から契約へ」という大きな転換点をむかえるに至った。この大転換は,20004月に介護保険が導入されて以降,顕著になった。つまり,社会的弱者の救済といった意味合いが濃厚だった既存の行政による「措置」から,様々な福祉資源のなかで個人が自分に合った福祉サービスを選択できるような「契約」へ,と激変した。これは,福祉制度史における歴史的なターニングポイントである。このように,福祉制度の歴史は,常に「社会的弱者」の尊厳を守るという正当性のもとで改正もしくは修正されてきた。

しかしながら,「社会的弱者」と「非社会的弱者」の境界線は,いったいどこにあるのか。そもそも「弱者」や「強者」の違いは何か。確かに,完全なる弱者は存在しない。ただ言えることは,この境界線が絶対的基準により線引きされるのではないということだ。日本全体における政治情勢,経済状況,あるいは社会的環境などによって,強者と弱者の境界線は流動的で緩やかであると推断できる[24]

 さらに,「弱者」についての考察を深めてみよう。松岡正剛は次のようにいう。「弱さには自分で思い込む弱さもあれば,他者や社会がしむけてくる弱さもある。強いと思っていたことがからっきし弱いこともあり,弱いとみえたものがめっぽう強い場合もある。・・・いずれにしても弱さはたいそう相対的である」(松岡1995pp.007-008)。ここから便宜的に,前者を「主観的弱者」,後者を「客観的弱者」と読み替えることができよう。主観的弱者とは,劣等感に象徴されるものであり,自己暗示的でかつ否定的な自己認識によって自らを社会的弱者であると思い込むものである。他方,客観的弱者のほうは「他者や社会がしむけてくる弱さ」といえる。固定観念やステレオタイプがこれに相当するだろう。

 勿論,本稿での考察対象は客観的弱者のほうである。しかしながら,この両者を切り離して議論することはナンセンスである。というのは,個人はそこに真空パック的に存在するのではなく,社会的存在であるのだから。たとえば,或る人がある種のステレオタイプを劣等感として思い込む場合などが挙げられる。

そこで,弱者の定義が主観的側面と客観的側面の双方から成し得ることを確認したうえで,弱者であると認識され得るための条件を,「身体,自我,社会関係」という三つの観点から模索してみたい。

 

4 社会的弱者の条件

三つの観点

障害の種類

特徴

身体

身体的障害

日常生活動作能力の低下

自我

精神的障害

アイデンティティの危機

社会

関係

言語障害

視聴覚障害

リテラシー能力

の低減

 

 第一の条件として挙げられるのは,身体的障害である。これは日常生活動作能力(ADL)のレベルが低い状態を意味する。第二に,精神的障害である。精神状態が不安定で極端な躁鬱になるような,あるいは脳に欠陥があるような場合には,アイデンティティの維持が困難になり自己存在の危機に陥ってしまうだろう。そして第三には,リテラシー能力に関わる障害が挙げられる。リテラシーとは読み書き能力のことである。言語障害や視聴覚障害などがある。さらに,補足すれば,21世紀以降もますます情報技術(IT)の普及が見込まれるので,パソコン操作能力もリテラシー能力のなかでさらに必要不可欠な位置を占めるだろう。上記の三つは社会的弱者の条件であるとまとめておこう(表4を参照)。

だがここで,リテラシー能力がコミュニケーションを円滑に行なうことができる能力とは異なることも合わせて明記したい。つまり,コミュニケーション能力が低くても社会的弱者とはいえない。この点は重要である。なぜなら,以下でも述べるように,コミュニケーション能力における弱さが,意図せざるプラスの側面を持つためである。

 その側面というのは,金子郁容が注目する「バルネラビリティ」である。これは「脆弱な」,「他からの攻撃を受けやすい」,ないしは「傷つきやすい」といった意味を含む。「弱い」という,自己にとって切実な問題を決して自己から切り離さずに,これと対峙しながら他者とコミュニケーションをとることによって,予期しないような「意外な展開や不思議な魅力のある関係性がプレゼントされる」(金子郁容1992p.112)可能性がある。バルネラビリティはまた,弱さであると同時に,「相手から力をもらうための『窓』を空けるための秘密の鍵」でもある。「バルネラビリティは,弱さの強さであり,それゆえの不思議な魅力がある」(同書,p.125)。

 

5 「弱者」と福祉の関係性

関係性

弱者の種類

特徴

福祉資源の享受方法

固定的

関係

絶対的な

社会的弱者

弱さはあくまでも弱さに過ぎない

福祉資源は

享受して

当然である

 

非固定的

関係

 

相対的な

社会的弱者

弱さは

強さになり得る

或る種の福祉資源は享受するが,別の資源を供給し得る

 

こうしてみると,「弱さ」と福祉の関係は決して固定的なものではない。むしろ,“弱さのパラドックス”として表現されるように,意外にも非固定的で相対的,かつ流動的であるといえよう。一般常識としてわれわれが共有している認識――社会的弱者だから福祉資源を享受して当然であるという理解の仕方――はよく考えると奇妙である。「弱者」とは,あくまでも「相対的な社会的弱者」である。決して,すべての面で弱者であるわけではない(表5を参照)。要するに,絶対的な社会的弱者は幻想であり,これは実は何処にも存在しない。

 

3)「潜在能力」と福祉――A.センによる「潜在能力アプローチ」を素材に

 

 しかしながら,たとえ「相対的な社会的弱者」であっても,なかには,重度の身体障害を持つ方で,どうしても福祉資源を享受しないと日常生活を送ることができないような身体面における社会的弱者が存在することは否めない。だが,そのような人にとって,身体面以外の局面において社会的強者に変身できる機会はないのか。あるいは反対に,一見すると社会的強者であるように思われても,全く別の面で社会的弱者に変貌することはないのか。この点を考察するために,以下では「潜在能力」と福祉の関連性を詳述していくことにしよう。

経済学者であるアマルティア・センは,これに関して興味深い議論を展開している。

センは,福祉がQOL(生活の質)を意味すると規定し,かつ「人間の多様性」を強調したうえで,「潜在能力アプローチ」の有効性を提案する。このアプローチは,既存研究のような,福祉概念を満足度や充足度といった心理的尺度のみによって限定的にしか説明できなかった「効用アプローチ」とは本質的に全く異なっている。彼が積極的に提唱する「潜在能力」の概念は,古典的なアプローチが持つこういった限界を見事に乗り越えたものになっている。以下で具体的にみてみよう。

「『潜在能力』は『機能』の集合として表される。『機能』とは,人の福祉(暮らしぶりの良さ)を表す様々な状態(○○であること)や行動(○○できること)を指す。・・・機能に注目するのは,人の福祉を直接表すからである」(訳書,pp. v-vi)。「『潜在能力』は,ある人が選択することのできる『機能』の集合である。すなわち,社会の枠組みのなかで,その人が持っている所得や資産で何ができるかという可能性を表すものである」(同書,p. vi)。上記のように,「機能を自己選択できること」と「自己に内在するポテンシャルを意識できること」,この両要件は,豊かさを追求する前提であるという意味からも福祉概念に直結している。

 ではここで,この議論を素材にして,「潜在能力」と福祉の関連について思索していきたい[25]

 一般に,ニーズと呼ばれるものは,最初から個人が規定しているだけではない。逆に,個人レベルでの意図を超えた慣習や,日常生活レベルでの目に見えにくい力関係によって社会から拘束的に決定されているという見方もできる。この事実が示すことは,ニーズを受動的に待つだけでなく,それを能動的に生み出す姿勢である。要するに,社会には個人の認識を超越するような「十人十色的ニーズ」ともいうべきニーズが存在するといえる。これは逆の見方をすれば,「十人十色的デマンド」が潜在的に必要とされていることも示唆している。

ゆえに,もし,社会的弱者だとレッテルを貼られている人々の「潜在能力」を開発して潜在的ニーズが発掘できれば,その潜在能力は必ず活かされる。なぜなら,そこには「十人十色的デマンド」が存在するからである。福祉と潜在能力の関係性を議論していくと,こういった動態的な考え方が導き出されることはごく自然なことである。

 さらに能力についてもう一歩踏み込んでみたい。人間の能力は「顕在能力」と「潜在能力」とに類型化できる。顕在能力とは,能力が自他ともに認知され,実際に社会資源として活用されているものを意味する。この能力に関する項目を変数とみなせばかなりの数にのぼるだろう。したがって,潜在能力まで視野を広げると,人間の能力に関する変数は無限大に潜んでいることになる。潜在能力を顕在化するプロセスは,人生経験をとおして豊かに培ってきた内面的資質を,個人的資源から社会的資源へと転換させることと等しい。

 最後に,「潜在能力」と福祉の関連についてまとめておきたい。福祉資源を必要とする人は,自己の或る側面において社会的弱者であると認識される。しかしながら,同じ個人であっても,別の側面では,逆に社会的強者であると判断される可能性もある。これは,人間のもつ潜在能力や顕在能力の全体像を,たとえ本人であっても把握しきれないほどに,きわめて多様化していることに起因していると推測できる。したがって,無限大に変数をもつ「潜在能力」を顕在化することができれば,それが即,福祉資源に結びつく可能性がある。

このように,潜在能力の顕在化は,社会的弱者の捉え方を次のように変化させる。すなわち,「福祉資源の一方的な受給者」から,「これを受給しつつも,同時に別の資源をも供給し得る者」への変化である。この事実は,福祉資源を経済的側面からしか把握できない場合には決して浮き彫りにならない。こう解釈してみると,福祉資源の貯蔵量は決して少なくはないということが判明する。

 

4.「福祉生産性」の吟味

 

 今までの議論において,「生産性」概念と「福祉」概念を丁寧に概観してきた。次に行なうのはいよいよ「福祉生産性」の吟味である。

まずは,今までの議論を踏まえて福祉生産性の概念を定義する。次に,経済的生産性や社会的生産性と,福祉生産性との関連を明らかにして,福祉生産性の概念を「生産性概念図式」のなかに位置づけることを試みる。

 

1)「福祉生産性」と「生産性概念図式」

 

 経済的生産性と社会的生産性,「弱さ」と福祉,「潜在能力」と福祉などに関する議論を総合的に鳥瞰して,福祉生産性を次のように定義してみた。すなわち,「福祉生産性」とは,社会的弱者と認識されている,@身体面,A自我面,B社会関係面それぞれにおいて,日常生活動作能力(ADL)に差し支えるような何らかの障害をもつ人々が,その「弱さ」としての障害を「強さ」としての「潜在能力」へと顕在化していく特質である,と規定したい。この定義を一言でいうとすれば,「潜在能力の顕在化」となるだろう。さきの福祉に関する議論において,これを「狭義の福祉」と「広義の福祉」に分類したことを思い出して欲しいのだが,福祉生産性とは主に前者である「狭義の福祉」を想定している。他方で,「広義の福祉」のほうは,社会的生産性に対応していると類型化することができる。

これらに関しては,以下の「生産性概念図式」を使ってもう少し詳しく説明することにしたい。

 第一に,経済的生産性の前提になっているのは社会的生産性であり,福祉生産性の前提になっているのは経済的生産性であるという点を挙げておきたい。経済的生産性には限界がある。そのためこれを円滑に向上させるためには,社会的生産性に補助してもらうことが前提になる。また,福祉生産性に関しても,いわゆる相対的な社会的弱者に対して,物質面など現実の日常生活を支援するためには,やはり経済面での支援が中心的になってくることは否定できない。したがって,福祉生産性は経済的生産性に補佐してもらうことが前提になるといえよう。これらの根拠から,生産性概念図式における白い矢印が浮き彫りになってくる。

 さらに,二番目に説明しておきたいことは,一番目とも深く関連するが,実は,福祉生産性が社会的生産性の素地になっているという点である。言い換えると,社会的生産性は福祉生産性によって応援されているということだ。これはいったいどういうことを意味するのか。

 それは,福祉生産性が高まっていない限り,社会的生産性は決して高めることができないということを暗示している。福祉生産性が高まるとは,潜在能力が発掘されそれが顕在化されることである。すなわち,潜在能力が顕在化されていないと,それを社会的に活かして自己実現することができない。

 しかしながら,この事実は結構見落とされている。そこで,本稿では,この点を際立たせるために,生産性概念図式における矢印を黒色にしてみた。特記しておくが,生産性概念全体を概観すると,決して,経済的生産性と社会的生産性の二項対立ではなかった。むしろ,福祉生産性こそが社会的生産性を支えており,さらには社会的生産性が経済的生産性を支えている。このような「トリアーデの関係」が,生産性概念図式の大きな特徴であるといっていよい。

 では,この生産性概念図式を個人という微視的レベルと,社会全体という巨視的レベルとに分けてそれぞれ考えてみたい。

 まず,個人レベルからみていこう。日常生活動作能力(ADL)が比較的高い場合には,競争社会ともいうべき資本主義のスタイルに巻き込まれて経済的生産性を志向する。だが,さきにも検討したように,これだけでは限界がある。そこで,人間の生涯発達が進展するにつれて社会的生産性へ目を向けるようになる。これが,まさに経済的生産性から社会的生産性への人間発達的変容である。

逆に,ADLが比較的低い場合には,最初の時点で競争社会には入れないだろう。しかしながら,経済的生産性を全く意識していないわけではない。この恩恵を受けながらも,なんとかして自己の潜在能力を発掘しようと努力する。ただし,その努力は〈親密な他者〉ともいうべき親しい間柄の良好な関係性によって常に支援されていることを忘れてはならない。これは,何か特別な理由がない限り,物質面に関する限りには,同居している家族員であることが多い。尤も,精神面では家族員以外であることも多いが。こうして,福祉生産性に補完されて初めて,社会的生産性を志向するに至る。この社会的生産性は経済的生産性を影から支えていることも重要である。

 次に,社会全体のレベルではこの概念図式はどのように説明されるのか。社会全体としては,やはり,技術革新を促進させ,合理化や効率化を高め,経済的生産性の向上を目指す。すなわち,経済的生産性を最優先するかたちで進展するだろう。しかしながら,これだけしか射程に入れてないとしたら,必ず限界がやってくる。そこで,社会的生産性に目を向けていく。NPOの活動支援などは代表的といえよう。あるいは,労働者の士気を高めるために,社会的生産性に注目せざるを得ない。こうして,社会的生産性の支えがあって初めて経済的生産性も高まる。

さらに,福祉生産性が経済的生産性によって補完されていることも明白である。たとえば,社会保障制度といったような福祉政策は経済的基盤が強固であってこそ推進され得る。同時に,社会的生産性は福祉生産性によって増補されている。例としては,福祉政策によって恩恵を受けた集団が,様々な組織を立ち上げて何とか自己「潜在能力」を開拓して社会の役に立とうとしている事実が挙げられよう。

 

顕在能力の経済的実現

                

               経済的生産性

 

                              

    福祉生産性                  社会的生産性

 

   潜在能力の発掘とその顕在化          顕在化された潜在能力の社会的実現

 

生産性概念図式

 

 以上みてきたことを簡単にまとめると,福祉生産性とは「潜在能力の顕在化」を意味し,これは,経済的生産性や社会的生産性とともに,上図のような「生産性概念図式」に位置づく。注目すべきは,福祉生産性が実は社会的生産性の土台になっており,これを補完している可能性がある点であろう。以下では,福祉生産性を高めるための条件について探っていく。

 

2)福祉生産性を高めるための条件

 

 福祉生産性を高めるための条件は何か。この点についても検討しておきたい。結論的にいえば,表6の表側にあるように,四つの視点が挙げられる。第一の条件は身体面であり,これは「健康への動機づけ」がなされているか否かといえる。二番目は自我面であり,これは「〈親密な他者〉との良好な関係性」が保たれているかどうかが目安となる。そして三つ目が社会関係面であり,これは,〈親密な他者〉との関係性だけでなく,他にも「家族関係をはじめとする,多次元レベルにおいてネットワーク」を潤沢にもっているかどうか,である。最後に四つ目は制度面であり,これは具体的には「社会保障制度の充実」が含まれる。

 

6 福祉生産性を高める条件

四つの観点

条件

身体

健康への動機づけ

自我

家族関係をはじめとする

<親密な他者>との良好な関係性

社会関係

〈親密な他者〉を中心とする

多次元レベルのネットワーク

制度

社会保障制度の充実

 

 以上の四点に関して,もう少し説明を加えておきたい。第一に,「健康への動機づけ」が福祉生産性を高める。なにもこれは福祉生産性に限ったことではないかもしれない。経済的生産性や社会的生産性についても当てはまるだろう。だが,福祉生産性の向上においてこの条件は,きわめて決定的要因となる。具体的にいえば,「ウェルネス」[26]の考え方である。すなわち,まったく健康な状態になるための動機づけではない。むしろ,自己の健康状態のレベルを,日々のライフスタイルを楽しむなかで徐々に上げていこうとする。こういったプロセスをエンジョイする営みが根底にあれば,福祉生産性が高まる準備は揃っているといえよう。

 第二に,〈親密な他者〉との良好な関係性がこれを高める条件として欠かせない。精神に障害を持つ方や脳に障害がある方のようにADLが比較的低い場合には,特に,家族関係における〈親密な他者〉の精神的支えがきわめて重要であろう。要するに,多くの可能性を秘めている「潜在能力」を引き出して,これを福祉生産性として高めるためには,家族における〈親密な他者〉によって,相対的に「弱い」部分を,物質的あるいは精神的に支えてもらわなくてはならない。

 福祉生産性を向上させるための三つ目の条件は,家族員といった日常的に支えてくれる〈親密な他者〉だけではなく,多次元レベルのネットワークのなかでも〈親密な他者〉を作っていくことが望ましい。「潜在能力」は,家族に代表されるような安定的で硬直化した関係性のなかからは開花しにくい。むしろ,家族の枠組みを超えたところに存在する,緩やかな多次元レベルのネットワークのなかでこそ,ある種の匿名的部分が認識もしくは自覚されて,それが「潜在能力」の開放に繋がることもあり得る。つまり,信頼関係のおける,少数の〈親密な他者〉との良好な関係性を中心にしつつ,様々なシーンにおいても常に新たな関係性を創造していこうとする意志をもつことは,福祉生産性を豊富にするために必要不可欠な条件である。

 最後,四つ目として挙げておきたいのは制度面である。この条件はさきの議論――福祉生産性が経済的生産性によって補完されているという議論――に通じている。まとめると,主に経済的側面における援助が社会保障制度として確立されていることが,福祉生産性を高めるための要件である。

 

5.結論と課題――少子化における生産的な福祉社会の在り方を求めて

 

 では,最後に暫定的結論として,以上の議論を踏まえつつ,少子化における生産的な福祉社会の在り方をまとめておこう。

 本稿で確認できたことの一つは,次の点である。すなわち,経済的生産性が高まれば福祉生産性も豊富になり,福祉生産性が豊かになれば社会的生産性も向上し得る。さらに,社会的生産性が潤沢になれば経済的生産性も向上する。このように,経済的生産性,社会的生産性,そして福祉生産性の三つの間には,「トリアーデの関係性」が存在している。だが,現実的にはこれほど単純にはかないということも併せて断っておきたい。

さて,本稿の冒頭でも述べたように,21世紀に入ると,少子高齢化はますます進展していくと想像できる。とりわけ,少子化の進展には目を見張るものがある。少子化に関する先行研究には,悲観論や楽観論をはじめ様々なものがあり,来るべき少子化社会の姿を多面的にイメージすることができよう。しかしながら,近年,新たに情報技術(IT)革命が起こり,これほどまでに経済的生産性が向上した現在,何故,出産適齢期にあるカップルが子どもを産み育てることを選択しないのか,あるいは選択することができないのか。この本質的問題から目をそむけた議論には,少なくとも社会学的には全く存在価値を感じない。

この本質的問題に関して,本稿の文脈でいえることは,第一に,A.センの提起する「潜在能力」がうまく顕在化されていない,すなわち福祉生産性が高められていない,という点である。見方を変えれば,顕在能力が硬直化しているともいえよう。「子どもを産み育てることで,子どもを通した人間関係が膨らみ,仕事の関係だけでないネットワークができる。そしてそのネットワークが意外なことに仕事に活かされたりしている」(札幌市立病院ボランティアルームコーディネーターの女性からのヒアリングによる)こともある。この事実は,子どもを持つことによって「潜在能力」が顕在化され,その顕在化された能力がどんどん広がっていく可能性を示唆している。

第二に,福祉生産性を高めるための条件とも関係するが,〈親密な他者〉との関係性に異変が起きていることも注目すべき点である。特に,家族関係の変化には目を見張るものがある。家族関係,とりわけ夫婦関係の変化は子どもを持つ,あるいは持たないといった少子化問題に関わる部分と密接に繋がっている。したがって,少子化における生産的な福祉社会を模索するためには,家族関係を含めた〈親密な他者〉が,様々な影響を受けながら,これからどのように変容していくのか,この点に焦点を当てて分析を継続していくことが社会学的課題になってくるといえよう。

 

謝辞

本研究で使用されたデータは,北海道高齢者問題研究協会による研究助成(1999年5月〜2000年1月,研究代表者 北海道大学文学部 小林甫教授,共同研究者 片桐資津子)を受け,北海道函館市の元町と谷地頭町にて筆者らが行なった研究成果の一部である。

実際の調査に際しては,北海道教育大学函館校 宇田川拓雄 教授とその学生の皆様には多大なるご協力をいただいた。また,快くインタビューに応じてくださった函館少年刑務所の海技講師機関科で非常勤講師をされている赤坂操 氏(96歳,男性)や老人クラブ「寿楽会」会長であられる大泉千代丸 氏(80歳,男性)をはじめとする「人生の達人」たちからは,多くの知恵を学ばせていただいた。記して感謝致します。

 

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[1] 「もともとヘーゲルで労働という概念は,せまい意味での生産に限定されていなかった」。だが,「マルクスの労働概念は,どうしても労働者の生産プロセスだけに注目する」(中山,p.245)。

[2] 本稿で規定する「福祉生産性」とは,「生産性」概念に福祉社会学的解釈を施したものである。

[3] 15歳から49歳までの女性の年齢別出生率を合計したもので,女性が一生涯で産む平均子ども数の推計を表す。

[4] 日本経済新聞,2000630日付.

[5] 厚生省大臣官房政策課監修,1998,『「少子化と人口減少社会を考える」 人口問題審議会報告書のポイント(少子化に関する基本的考え方について―人口減少社会,未来への責任と選択―)』,(株)ぎょうせい.

[6] ちなみに,ランダムハウスの英英辞典(Jess Stein editor in chief, Laurence Urdang Managing Editor,1967,“THE RANDOM HOUSE DICTIONARY of the ENGLISH LANGUAGE”,RANDOM HOUSE Inc.)で“productive”を引くと,次のように定義されている。“1. having the power of producing; generative; creative, 2. producing readily or abundantly; fertile, 3. causing; bringing about, 4. Econ. Producing or tending to produce goods and services having exchanges value.”

[7] 野田信夫監,1975,『生産性事典』,日本生産性本部.

[8] J.K.シム・J.G.シーゲル著, 井堀利宏・粟沢尚志訳,1997,『新経済学用語辞典』,新世社.

[9] 福祉生産性については,本稿におけるキー概念であるため後で詳述する。

[10] 「プロダクティブ・エイジングとは,有償であれ無償であれ,商品やサービスを生み出す高齢者個人によって行なわれる諸活動,あるいはそういったものを生み出す能力を発達させる高齢者個人によって営まれる諸活動である。……それはまた,高齢者自身が有償労働やボランティア活動を遂行するために,そういった能力を高めるような訓練や技能を準備するような諸活動である。……われわれによるプロダクティブ・エイジングの定義では,高齢者によって行なわれている重要で建設的な活動は,次のようなものでも除外する。すなわち,礼拝,黙想,回顧,追憶,楽しみとしての読書,文通,家族や友人への訪問,旅行など」 Scott A.Bass, Francis G.Caro, and Yung-Ping Chen,1993:6-7]。

[11] 「『生産性』とは,経済的には単位時間あたりの,個人または集団が産み出した物財あるいはサービス財のことである。ここでは,社会が認めるあるいは利益を受けるような種類の生産性であることが重要だ。……生産性とは,たんに物財をつくりだすことではない。本質的な意味で社会を豊かにすることである。仕事というものをもっと幅広い意味で考えるべきである」[R.バトラー編,『プロダクティブ・エイジング』,1985(岡本祐三訳1998):36-37]。

[12] この文脈で確認したいことは,最大化は非現実的なモデルに過ぎないが,満足化はきわめて現実的で人間的であるという点である。なぜなら,一般的に,「人々は与えられた統計的情報にあまり注意を払っていない。人々はむしろ,何がおころうとしているかに関する情報のなかで,以前から持っていたステレオタイプに適合的なものにもとづいて行為したがる」(R.コリンズ・訳書,p.162)。ゆえに,合理的な行為について考察するときには,或る事柄に関する客観的データよりも,むしろ或る事柄に関して,人々の間に,共通に流布している「言説」を把握する方が,実証的説明としてより真実に近いといえる。

[13] この“しわ寄せ”対策のために注目されるものを,本稿では,社会的生産性や福祉生産性と呼んでいる。

[14] 社会的生産性の概念は,実は労働生産性を追究するなかで獲得されたものであり,いわば生産性の発展型である。真に生産力を向上させるためには,生産の主体である労働者個人を理解することが不可欠である。(『生産性事典』p.30)

[15] 対象者は,北海道函館市の元町と谷地頭町に住む75歳以上の男女合わせて90人づつ,合計180人である。住民基本台帳から層化二段無作為抽出法により,1999年5月にサンプリングを行ない,質問紙票を用いた量的調査を1999年9月下旬に行った。以上のデータを分析したのち,1999年11月から2000年1月にかけてヒアリング調査を実施した。対象地は質問紙票調査と同じであり,対象者も質問紙票の回答者のなかから抽出した。抽出には9月に了解を得られた方の中から,高齢男性10名を選択した。性別は男性に絞ったが,年齢は特に限定せず,結果としては最低齢が75歳,最高齢が96歳となった。聞き取りの方法は,各人の生活歴を回想法的にお話ししていただいた。聞き取りの内容は,経済的生産性から社会的生産性への移行過程を中心に,人生の転機の状況,家族との絆の変化などであった。インタビュー時の様子はすべてMDに録音した。

[16] 「幸い」をみると「運がよく,恵まれた状態にあること」,「しあわせ」,「幸福」,「好運」となっている。

[17] 福祉と似た言葉に「福利」がある。これは「幸福と利益」を意味する。

[18] 福祉と聞いてすぐに連想するのは,福祉制度であることが多いが,実はこれは正確ではない。福祉とは様々なレベルでの良い「状態」を意味する。

[19] Merriam-Webster’s COLLEGIATE DICTIONARYのサイトhttp://www.m-w.com/dictionary にて検索した。

[20] 1. The state of doing well especially in respect to good fortune,happiness,well-being,or prosperity,2. aid in the form of money or necessities for those in need,an agency or program through which such aid is distributed.”

[21]  1. good fortune;prosperity( the condition of being successful or thriving,especially;economic well-being),2. a state of well-being and contentment;joy,a pleasurable or satisfying experience,3. felicity,aptness.”

[22] the state of being happy,healthy,or prosperous;welfare.”

[23] これらも理念型であることを断っておく。

[24] 松岡正剛によれば,「おおむね『弱さ』は『強さ』の設定によって派生する」(p.385)。

[25] 「潜在能力がどのように福祉に結びついているのかという点は,本当はよく考えてみなければならないこと」(訳書,p.60)であると,センもコメントしている。

[26] 「これは単に病気がない状態を示すヘルスよりも,『健康をつくっていこうとする日々の実践的努力や充実感を大切にしている』という点で,積極的,総合的でダイナミックな健康観を表現している」(椎名1998p.16)といえる。