第四章 調査の方法と仮説の提示

 

 

 前章までの議論で、ミードとゴフマンから学びつつ〈自己表現〉論を展開できたと考えている。具体的には、第一章における〈自己〉論(=自我論+身体論)と、第二章における「装い」論の検討をとおして、第三章では〈自己表現〉論の一端を示すことができたのではないか。その結果、ここから浮上してきた事実は、次のことであろう。ひとつは〈自己表現〉を行なうには、他者との「関係性」、とりわけ〈親密な他者〉の存在が不可欠であること、もうひとつは〈自己表現〉を行なうための「自我」に、「内面的資質」としての「弱さ」を〈つよみ〉に変える働き(=“創発的異化”;革新性)、あるいは「内面的資質」としての「強さ」を〈つよみ〉に変える働き(=“内省的同化”;確信性)がある、ということである。

 そこで本章における最大の目的は、こういったことを踏まえつつ、作業仮説を提示することである。そのため、まずはじめに、生活史を〈自己表現〉史[i]ととらえ、これを具体的にどのように掴みとるかを明らかにしたい。そして〈親密な他者〉を生活史からどう判断したらいいか(4.1.1)、どういった「内面的資質」を“レーゾンデートル”あるいは“生の証”とみるか[ii](4.1.2)、何をもって「自我」が躍動するような〈自己表現〉であると判断するか(4.1.3)を示したい。

 こういった〈自己表現〉を浮き彫りにするために、第二に、調査方法についての概要を述べておきたい。まず、調査対象者や調査地といった、調査の手順について記述したい(4.2.1)。次に、生活史法という方法論について明らかにした上で、〈自己表現〉史としての、本稿における生活史聞き取りの方法について検討したい(4.2.2)。そして最後に、本章の最大の目的である三つの作業仮説(第3節)を提示することとなる。



[i] 生活史を〈自己表現〉史としてとらえることは、小林甫教授とのディスカッションにより考え出された。

[ii] これは《どうしても捨てられないもの》であったり、《死ぬまでやり続けたいこと》といったことを示している[《》は、インタビューによる]。