あとがき

 

 

 私は小さい頃から文章を書くことが大変苦手であった。クラスの友達と比較しても、あるいは他の科目と比較しても、作文を上手に書けないことが劣等感だった。いってみれば「弱さ」としての「内面的資質」であったわけだ。だが、今回、修士論文を執筆することで、〈つよみ〉としての「内面的資質」に変容し得るのではないかと私自身思っている。なぜなら、本稿を執筆するに当たって、多くの“否定・批判の営み”と、かつ多くの〈親密な他者〉に支えられたからだ。

 特に、私が「弱さ」(=作文が苦手だったこと)から〈つよみ〉(=修士論文が書けたこと)へと移行するさいに、‘支え’になって下さった、以下の方々に感謝したい。

 まず、生活史聞き取りに応じてくださった8人の魅力的な女性たちである。彼女たちの‘支え’がなかったら、私がこの論文を書くことは不可能であった。生活史を一人ひとり聞き取るプロセスは、私にとって楽しくもあり辛くもあった。こうして振り返ってみると、彼女たちの人生の軌跡における民衆智から、一方で、学問的には社会学の伝統における学問知をほんの少しだが発展させることができたし、他方で、個人的には私自身の「内面的資質」を豊かにすることができた。

 それから、私に論文指導をしてくださった先生方の‘支え’も重要である。彼らの存在がなかったら、私は修士論文を書くことができなかった。とりわけ、指導教官でありかつ主査である、生涯学習計画研究部の部長であられる小林甫教授は、理論(学問知)と実践(民衆智)の往復運動の面白みを、“アメと鞭”で懇切丁寧に指導して下さった。また、文学部の主任教授であり、かつ副査である金子勇先生には、文学部のゼミに出席させていただき、社会学的なセンスを教えていただいた。副査である生涯学習計画研究部助教授の木村純先生は、研究会やその他の場で重要な指摘をして下さった。生涯学習計画研究部の教授でらっしゃる町井輝久先生は研究会や大学院ゼミの議論のなかで、実り多い指摘をして下さった。他に、研究部の客員教授の山田礼子先生、前助教授の笹井宏益先生、助教授の竹内新也先生にもお世話になった。心から感謝したい。

 このように、私は実に多くの方々に‘支え’られて、“否定・批判の営み”を乗り越えることができた。その結果、私自身の「自我」の機能が成熟し始めたといえよう。“慣習的同化”(=文章を書くことが嫌いだった)から“創発的異化”(=文章を書くことは好きかもしれない)へと。

 今後の目標は、自分の書く論文が、単なる“個人的資源”に留まらず“社会的資源”になることである。そのために、ますます多くの他者と良好な「関係性」を創造し、かつ維持していくことに貪欲でありたい。