終章 考察と結論
いよいよ、終章まで辿り着いた。前章では、生活史聞き取りによるデータを分析することによって、《三つの作業仮説》を検証してきた。そこで本章では、〈自己表現〉についての理論的考察を踏まえ、〈自己表現〉についての実証的考察を行ない、その上で本稿における結論を導き出すことを目的としたい。いってみれば、理論と実証の間の往復運動である。だが、その前に、本論文全体を振り返っておこう。
序章では、本稿における研究課題を設定した。これを端的にいえば、長寿化する女性たちが行なう〈自己表現〉によって表出される「内面的資質」(=〈つよみ〉や〈生き甲斐〉)が、単なる“個人的資源”に留まるのではなく、“社会的資源”として社会に還元され得るのはなぜか、ということに尽きる。言い換えると、長寿化していくなかで、豊かに培われてきた「内面的資質」(=〈つよみ〉)を表現して活かすさいに、単に自分自身だけが「生きる喜び」を感じる(=“個人的資源”)のではなく、その〈つよみ〉が自分以外の他者をも豊かにし、ひいては社会をも豊かにする(=“社会的資源”になる)可能性は何か、ということである。もし、この〈つよみ〉が“社会的資源”でもある場合は、プロダクティブ・エイジングにおけるプロダクティビティといえるのではないか。こういった研究課題を設定するに至った。
この研究課題の糸口を掴むために、私は、長寿化する女性たちの生活史に着目し、彼女たちが〈自己表現〉を行なうに至るメカニズムを解明してきた。具体的には、一方で、第一章から第三章までにおいて、長寿化をも射呈に入れた〈自己表現〉の理論的考察を行なうことができた。他方で、実際に長寿化する女性たちに生活史の聞き取りを実施し、第五章では、その〈自己表現〉の実証的分析を行なうに至った。要するに、〈自己表現〉の理論的考察と実証的分析である。これらについて、もう少し詳しくみておこう。
まず、〈自己表現〉の理論的考察にあたって、長寿化をとらえるさいに注目したのは、次の四つの観点である。すなわち、身体面、自我面、社会面、そして装い面である。これらの観点はそれぞれ、身体論、「自我」論、《家族》論、そして「装い」論に対応している。例えば、第一章では、長寿化における〈自己〉論を、「自我」論と身体論からとらえ返して考察した。特に、身体論においては「物理的身体」に限らず、「社会的身体」にも積極的に着目した。したがって第二章では、この「社会的身体」を「装い」ととらえ、長寿化における「装い」論を展開することができた。しかるに、第三章
第1節では、これらの議論を踏まえて〈自己表現〉についての考察を行なった。そして、〈自己表現〉を長寿化の観点(第一章における身体論と「自我」論、第二章における「装い」論)から総括することができた。
もう一つ残された《家族》論についてはどうか。〈自己表現〉を行なうには他者との良好な「関係性」が必要不可欠であるとし、こういった他者を〈親密な他者〉に位置づけ、第三章
第2節と第3節において論じてきた。一般には、〈親密な他者〉は「制度家族」という「私的領域」の「場」に存在することが多い。つまり、人は《家族》というごく身近な他者を〈親密な他者〉と見なしていることが多い。だが、「制度家族」が何らかの理由で存在しない場合や、存在したとしてもその「関係性」がうまくいっていない場合はどうか。これらの場合は、「制度家族」という枠にとらわれず、学校、会社、宗教、あるいは地域社会といった「公的領域」の「場」で〈親密な他者〉を見い出し、良好な「関係性」を築いている場合(=「友縁家族」)もある。こういった“選択可能な《家族》”の存在を、個人を“カップル単位”ではなく“シングル単位”でとらえ返すことにより、理論的考察をとおして示すことができた。
では、長寿化する女性が〈自己表現〉を行なうに至るメカニズムとは何か。これを解明するために、第四章では《三つの作業仮説》を提示することができた。この作業仮説群は、第一章から第三章までの〈自己表現〉の理論的考察を踏まえ、第五章以降における〈自己表現〉の実証的分析を射呈に入れたものである。その結果、長寿化における〈自己表現〉について、次のような主張を獲得することができた。すなわち、〈自己表現〉とは「自我」の機能が、“慣習的同化”から“創発的異化”(=革新性)あるいは“内省的同化”(=確信性)へと変化することである、と。この主張を、より明確にするために、長寿化にともない〈自己表現〉に至るメカニズムを、次の四つの論点から表にまとめて示しておきたい。
表 長寿化における〈自己表現〉のメカニズム
長寿化の 四つの論点 |
「自我の実現」 |
“否定・批判 の営み” |
〈自己表現〉 |
《三つの作業仮説》 |
身体論 |
健康は当然 “衝動的反応”or “慣習的同化” |
「物理的身体」 の 老化・異変 |
健康は有難い “創発的異化”or “内省的同化” |
長寿化の最大の特徴 |
「自我」論 |
「強さ」or「弱さ」 =優越感or劣等感 “慣習的同化” |
リフレクション |
〈つよみ〉=「自我」の躍動 “創発的異化”or “内省的同化” |
【作業仮説3】と関連 |
《家族》論 |
「制度家族」内の 〈親密な他者〉 “慣習的同化” |
死または「関係性」の崩壊 〈親密な他者〉 の喪失 |
「公的領域」に拡大された 〈親密な他者〉 “創発的異化”or “内省的同化” |
【作業仮説1】と関連 |
「装い」論 |
「モデル盲信型装い」と 「モデル選択型装い」 “衝動的反応”or“慣習的同化”と“内省的同化” |
老化による 「社会的身体」 の 異変 |
「差異提出型装い」 “創発的異化” |
【作業仮説2】と関連 |
*表における太字は「自我」の機能を表わす。
このように、長寿化にともなって〈自己表現〉を行なうに至るには、身体論、「自我」論、《家族》論、あるいは「装い」論のいずれの論点からも、一度は自己“否定・批判の営み”を経験することが重要である。この営みを経て、蓄積されてきた「内面的資質」は“レーゾンデートル”あるいは“生の証”になり、「自我」を躍動させてゆく。〈つよみ〉(=〈生き甲斐〉)としての「内面的資質」へと熟成されてゆく。
このような〈自己表現〉についての実証的分析を行なうため、第五章では、生活史聞き取りのデータを紹介することができた。さらに、第六章においては、《三つの作業仮説》を検証するかたちで、生活史における事例の分析を行なうことができた。そのさい、長寿化する女性たちの〈自己表現〉を、生活史のなかから〈つよみ〉として掴み取ってきた。上の表からも明らかなように、《三つの作業仮説》は、《家族》論(=【作業仮説1】)、「装い」論(=【作業仮説2】)、そして「自我」論(=【作業仮説3】)と重なり合っている。
さて、本論文における〈自己表現〉の理論的考察と実証的分析のレビューをこの辺にとどめることにして、終章である本章においては、本稿を締めくくるために、《三つの作業仮説》の考察(第1節)と、そこから引き出される結論(第2節)についての考を深めてみたい。