社会学の視点/社会学の方法
2018/11/23(桑原司)
1.私の専門
私の専門=コミュニケーション論(就中「シンボリック相互作用論」)
社会学、社会心理学、心理学、文化人類学、哲学など、多岐にわたる学問分野の知識をもとに作られた理論です。
学問分野としては「社会学」の一分野とされたり、「社会学的社会心理学」の1つ、とされたりしている理論[1]です。
なので、私はコミュニケーションについて研究する際には、社会学の概念を持ってきたり、心理学の概念を持ってきたり、哲学の概念を持ってきたり、とさまざまな分野の概念を無節操に使っているところがあります。
ただ私は、一応「社会学者」です。論拠としては、「日本社会学会という学会の会員の一人」であり、またこの学部・学科には「社会学者として雇用されている人間」であり、私が専門としている「シンボリック相互作用論」(Symbolic Interactionism)なる理論を作った人間は「社会学者」です(Herbert Blumer 1900-87)。
というわけで、この講義(今週・来週)では「社会学」という学問についてお話しをしたいと思います。
2.正体不明の「社会学」
さて、社会学とは何か、それはどういう学問なのでしょうか。
実はこれが「最も社会学者を悩ませる」「最も難しい問い」なのです。何せ、
「社会学者の数ほど社会学はある」
といわれているぐらいですから[2]。
つまり(文字通りに受け止めれば)、「私は社会学者だ!」と名乗る人間がいて、「私が思うにこれが社会学だ!」といいさえすれば、それが(それも)「社会学」になる、というわけですから。
とはいえ実際には、上記ほどいい加減な学問ではありません。やはり1つの学問です。ちゃんとした定義があります(あると思います…..)。
まずはっきりしていること、それは「社会学は社会科学の一分野である」ということです。仮に科学というものを、自然科学と社会科学の2つに分けるならば、前者には物理学、生物学、化学、地学などなど、後者には法律学、経済学、政治学、心理学[3]などなど、が入ることになります。そして、「社会学」(Sociology)は、後者の社会科学の一分野を構成します。
しかしここで問題が生じます。法律学の研究対象は法律(現象)、経済学は経済(現象)、政治学は政治(現象)、心理学は心理(現象)、とそれぞれ固有の研究対象と持っています。それに対して社会学はどうかというと、「社会」(現象)なのです。
例えば、何らかの会合で初対面の人に自己紹介をする際に、「私は経済学を専門にしています」と述べると、「ああ、そうですかー、経済学ですか!」と何となく納得してもらえます。このことは法律学、政治学、心理学などについても言えることです。とはいえ、私が実際にこれまでさまざま人に自己紹介をした際に「私は社会学を専門にしています」と述べて、「ああ、そうですかー、社会学ですか!」と何となくでも納得してもらえたことは記憶のかぎり一度もありません。この差は何に起因するのでしょうか? さまざまな要因が考えられると思いますが、やはり一番大きなものは、「社会」という言葉が「研究対象」をあらわす言葉としてはがあまりに大きすぎる(広すぎる[そして曖昧すぎる]=明確ではない=イメージを抱きにくい=あまりに自明)ということだと思います。
3.社会学の研究対象
誰が言い出したことかは分かりませんが、およそ1つの学問が成り立つためには、以下の2つの条件のうち、少なくとも1つが満たされている必要があります。
@独自の研究対象
A独自のアプローチ方法
まず@から見ていきましょう。
社会学の研究対象は「社会」です。これは間違いありません。とはいえ、これでは@が満たされたことにはなりません。というのも、「社会」を研究対象としている学問は社会学だけではないからです。先ほどの経済学、政治学、法律学….は間違いなく「社会」の1つの領域を研究しています。なので、@では社会学は「1つの独自な学問分野」としては成り立たないことになります。「研究対象」=「社会」では「あまりに大きすぎる」のです。
つまり、社会学はまさに「A」で成り立っている学問なのです。
4.3つのアプローチ方法
4-1. 社会学の産声
「社会学」という学問がはじめてこの世に登場したのは、1838年のフランスにおいてでした。
A. コント(Auguste Comte 1798-1857)というフランスの思想家(哲学者)が、『実証哲学講義』(1830-42)という6巻からなる大著の第4巻で「社会学」(sociologie)という言葉を用いました。これが社会学の誕生です。
『実証精神論』(1845)という本があります。コントが『実証哲学講義』のコンパクトな解説書として執筆したものです。本書の最後の数章(第21-23章)において、社会学という学問は次のよう位置付けられています[4]。
@ 数学→ A 天文学→ B 物理学→ C 化学→ D 生物学→ E 社会学
上記の6つの学問は、先行する学問(科学)が次の科学の基礎となる、その「論理的順序」と、実際にそれぞれの学問が誕生し発展した、その「歴史的順序」の双方を示しています。社会学は一番最後に位置付けられています。これが意味するのは、歴史的には最後に登場したが、その発展度合いは最も高い学問である、ということです。社会学は、先行する科学である生物学による人間把握とは異なり、「社会のなかで相互依存する人間」の解明を通じて「人類」に接近する「唯一の科学」である、とされております[5]。
しかし、コントによるこの学問分類には大きな問題がありました。それは、先行する社会科学であるところの「政治学」や「経済学」や「法律学」を、この「社会学」という学問の下位類型に位置付けてしまったことです。
これでは「位置付け」「られた」方は、たまったもんじゃありません。
コントは、社会学を、社会変動の法則を明らかにする「社会動学」(la dyamique sociale)と、時系列上の一時点における社会の仕組みを明らかにする「社会静学」(la statique sciale)に大別しました。
が、彼の社会学という学問に対する功績は「社会学という学問が必要だ」と唱えただけに終わった、と言っても過言ではありません。
社会学という学問を真に成立させたのは、その次の世代の思想家たちです。
4-2. デュルケム、ウェーバー、ジンメル
エミール・デュルケム(Émile Durkheim 1858-1917):フランス、社会学者
マックス・ウェーバー(Max Weber 1864-1920):ドイツ、政治学者・経済学者・社会学者
ゲオルク・ジンメル(Georg Simmel 1858-1918):ドイツ、哲学者・社会学者
上記の3名が、事実上、今日の社会学の基礎を作り上げました。
それでは早速、3者の社会学に対する見解に目を向けてみましょう。
まずデュルケムについて言うならば、彼は社会学の研究対象を「社会的事実」というものに定めています。これは独自な研究対象を発見したというよりも、既存の研究対象に対する独自な見方を発見した、という方が適切でしょう。
社会的事実=人々の行動パターン、思考パターン、感覚(感じ方)のパターン。それも個々人の十人十色の、ではなく、集合的に皆が共通して行っているパターンを指しています。それが個別に具体化したものが、法の規則、道徳、宗教教義、金融制度などです。デュルケムの言葉に「社会的潮流」という言葉がありますが、これは例えば、プロ野球の観戦で、野球場で阪神ファンが、皆揃って「熱狂」的に、阪神の応援をしている状況を想像してもらえると良いかと思います。自らも阪神ファンで皆と同じように阪神を応援していれば「圧力を圧力として感じないでもすむ」かも知れませんが、そこでただ一人「頑張れージャイアンツ! 阪神を蹴散らせー」と叫び続ければどうなるか….その時にその個人が感じるであろう周りからの圧力、それが社会的潮流です。
デュルケムによれば、このような社会的事実は、人間が社会のなかに生まれ落ちる前からそこに存在しており――外在性――、生まれ落ちた人間は、それを自らの内部に内面化することで、ヒト科ヒトから「社会的存在」[6]としての「人間」に成ってゆきます。それを行うのが「教育」です。「両親」や「教師」は、社会的事実の「代理者」「媒介者」として、この「教育」に携わります。
この社会的事実は、人々に内面化されたからといって、社会のなか(人々の外側)からなくなってしまうわけではありません。人間が存在する前から社会のなかに存在し、人間がそれを内面化して以降も、社会のなかに存在し続けます。社会的事実のこの性格を指して「外在(性)」と呼びます。
社会的事実は、単に人々に外在しているだけではありません。人々がそれに同調するように「命令と強制の力」を発揮します。この性格を「拘束性」と呼びます。人々が同調している間は、その人々はその拘束性を感じずにすむかも知れませんが、しかしいったん逆らおうとすると、社会的事実はさまざまな形でその人間に「強制力」という名の牙をむくことになります。
というわけで、デュルケムは、
外在性と拘束性を持つ「社会的事実」と「人々(人間)」との関係の考察
このように社会学という学問を捉えたことになります。
さて、次にウェーバーです。
研究対象は「社会的行為」です。行為とは人々が「主観的な意味」[7]に基づいて行う行動のことを指します。この意味での行為が、一人で自分のためだけに自分のことだけを考えて行われている、のではなく、他の人々の行動を考慮して、その行動との関連において行われている場合、それを特別に「社会的」「行為」と呼びます。
社会的行為を「解釈によって理解」し、その「過程と結果」を「因果的に」説明する。
これがウェーバーの考える社会学の定義です。
何故人々はそのような社会的行為を行ったのか、何故その社会的行為はかくかくしかじかのプロセスを辿ったのか、何故その社会的行為はある特定の結果をもたらすに至ったのか。こうした分析方法でウェーバーは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という有名な本の中で、近代資本主義の成立プロセスを解明しています。
時間が無いので、ごくごくおおざっぱに説明するならば、
19世紀の西欧において、プロテスタントたちが、カルヴァンの予定説から導き出された職業倫理に基づいて(動機)、経済活動という社会的行為を蓄積していった結果(プロセス)、近代資本主義が成立した(結果)、というものです。かなり乱暴ですが….
最後にジンメルについてです。
お配りした資料を見てください。1頁目はコント流の社会学の定義を批判しています。2頁目は、ウェーバー的な個人から出発する社会学と、デュルケム的な社会から出発する社会学の双方を天秤にかけて、どちらも相対的なものだ、と述べています[8]。そしてジンメルはといえば、「心的相互作用」[9]を研究の対象に選ぶ、と暗に宣言しています。
人々がある場所に複数いるだけでは、それは「社会」とはいいません。そうした人々がいろいろな思いに基づいて、互いに相互に関わり合うことで、社会が成立します。
つまり、
個々バラバラな「諸要素」が「心」を伴った「相互作用」を経て一つの「社会」と「化」す
ジンメルはこのように人々(諸要素)と社会との関係を捉えています。
社会とは不断に変化していく相互作用のプロセス(「社会化」)にほかなりません。このプロセスには「形式」と「内容」があります。「内容」とは人々の「関心」であり「心」のことです。経済的領域においては、人々は経済的関心に基づいて相互作用を行っているでしょう。「形式」とは、相互作用のあり方を指しています。「支配、服従、競争、模倣、分業、党派形成、代表、対内的結束と対外的閉鎖」等々。
この社会化の内容と形式のうち、後者を分析する学問領域。これを「純粋社会学」ないしは「形式社会学」と呼び、ここに社会学の独自性を認めました[10]。
<まとめ>
「社会」という研究対象を「個人と社会の関係」という視点から明らかにする[11]。
さしあたり、社会学という学問を、このように定義することが出来るでしょう。
[1] J. M. Charon, 2009, Symbolic Interactionism, 10th edition, Prentice-Hall。
[2] 菅野仁(2003)『ジンメル・つながりの哲学』NHKブックス、3頁。
[3] ちょっとこれについては位置づけが曖昧ですが(ウィキペディアの執筆者,2017,「社会科学」『ウィキペディア日本語版』,(2017年6月23日取得,https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%A7%91%E5%AD%A6&oldid=64538558).)。『日本大百科全書(ニッポニカ)』によると、まず科学は、「自然科学」と「人文科学」に分かれ、社会科学は人文科学の下位カテゴリーに属するようです(https://archive.is/IQVan#selection-491.207-491.276)。
[4] https://archive.is/KdJaF#selection-611.1-613.8
[5] https://archive.is/KdJaF#selection-659.78-659.159
[6] 社会の構成員、社会の担い手、くらいの意味。
[7] 動機とほぼ同じ意味。
[8] つまり、一方が絶対に正しくて他方が絶対に間違っている、というわけではない。分析の目的によってどちらが有用かが決まる、ということ。
[9] 心理的な営みに媒介された相互影響過程。
[10] 政治学、経済学、法律学などの先行する社会科学は「内容」を扱ってきた、社会学はさまざまな社会領域(政治・経済・法律etc)に見られる「社会化」の「形式」を扱う。
[11] 社会から出発する(デュルケム的)方法を「方法論的全体主義(集団主義、集合主義とも言う)」と、個々人から出発する(ウェーバー的)方法を「方法論的個人主義」と言います。ジンメルの方法は後に「相互作用論」(Interactionism)という流れを生み出します。