『ビルト』オンライン版 2004年12月15日(水)
欧州統合の成功はドイツの優先的関心事である。我々が歴史から一つ学んだことがあるとすれば、ドイツ独自の歩みは災いに至るということであり、我々の未来は真の政治的統一体としての欧州連合にあるということである。
そのために我々は欧州の人々の心を獲得せねばならない。EUを限りなく広げてしまえば、それは不可能になる。
欧州に地理的境界があるのは間違いない。シリアやイラン、イラクに接するトルコの国境に立って、自分はまだヨーロッパにいるとまじめに考える者はいないだろう。
我々の友人トルコを退けようと考えている者は誰もいない。我々はできるだけ密接で友好的なトルコとの関係を望んでいる。しかし我々が友好的関係を結んでいるからといって、どの国もEUに含まれるというわけではない。
トルコ国内でイスラム教と民主主義、法治国家、人権尊重が、他のイスラム諸国の模範になるよう共存できるかという問題は、トルコが欧州連合の正式加盟国になるか否かという問題と結びつけてはならない。さもなければ我々は同じ理由から、次にはパキスタンやインドネシアをEUに受け入れねばならなくなる。その上、トルコがEUの正式加盟国になれば、好んで唱えられるアラブ世界への「橋渡しの役割」を果たすことは今以上に難しくなる。なぜなら「橋」とは決して完全に一方に所属してはならないからである。
トルコがEUに加盟できなければ、ドイツで暮らすトルコ人の統合が危うくなると主張する者は、ドイツ人とトルコ人の平和的な共生を玩ぶものだ。ドイツ人と外国人は、たとえ非EU圏の出身であっても、まったく問題なくともに暮らして行けるのである。
トルコ国内の問題に口をつぐんだり、美化したりしても、トルコの助けにはならない。キリスト教徒がトルコで教会を建てることばかりか改修すらも、あるいは独自の司祭を戴くこともできない限り、我々ヨーロッパ人が理解しているような宗教の自由がトルコにも存在するなどとまじめに主張できる者はいないだろう。この意味で、トルコのエルドアン首相の声高な誹謗(「キリスト教クラブ」!)は、そのまま自らに向かうオウンゴールとなる。
トルコ加盟賛成論者の論拠が本当はいかに薄弱なものであるかは、「今問題となっているのは加盟交渉の開始であり、トルコの加盟はずっと先のことだ」と絶えず言及していることからも明らかである。この言い方は過去40年間の大方のトルコ政策同様、不誠実なものだ。これからは特権的パートナーシップ案も併せて交渉するようトルコに申し出る方が賢明である。10年間加盟交渉を行なった挙句に失敗したとしたら、それはトルコにとって、EUにとっての政治的統合の失敗と同様に、致命的な結果を招くからだ。
原題:Gehoert die Tuerkei wirklich zu Europa?