2004年8月1日(日)21:07

シュレーダー首相はポーランドに対する補償要求を退ける

ワルシャワ(AFP)

ゲルハルト・シュレーダー首相(社会民主党)は、ドイツの首相として初めてワルシャワ蜂起記念式典に参列した。60年前の蜂起の開始を偲び、1分間の黙祷を捧げた後、シュレーダー首相は記念碑に花環を捧げた。これより前、シュレーダー首相はポーランドのマレク・ベルカ首相との会談を終え、ドイツ人がポーランドに対して要求している過去の財産の補償要求を退ける旨を表明した。

ベルカ首相は、ドイツ首相の記念式典への出席は「両国がこの60年ともに歩んできた、長くきわめて良好な道程」を示すものだ、と述べた。シュレーダー首相はベルカ首相との会談の席で、私は式典への招待を「私個人に対する大きな名誉であり、戦争を開始して計り知れない苦しみをポーランドにもたらした我が国に対する寛大さの表れ」と理解している、と語った。

ポーランドに対する過去の財産の補償要求に関して、シュレーダー首相は、ヨーロッパに対するポーランドとドイツの共同の責任が「分別のないドイツの人々によって揺るがされるようなことがあってはならない」と強調し、「ドイツ政府はこのような要求に対して対抗措置を取り、またこのことをあらゆる国際的な法廷で明確に表明するつもりだ」と、「プロイセン信託公社」の要求を踏まえて語った。財産補償要求を取りまとめている同公社は、場合によっては欧州裁判所に訴訟を起すとの意向を表明している。シュレーダー首相はまた、ベルリンに反放逐センターを建設するという故郷放逐者同盟(BdV)の計画に対し、あらためて拒絶の姿勢を表明した。

シュレーダー首相は自由で統一された欧州に対するポーランドの意義を強調した。「私たちは今日、ナチスの軍隊の犯罪を前に、恥じ入って頭を垂れる」。「ポーランドの誇りとドイツの恥辱の交わるこの場所で、私たちは和解と平和を願う」。ポーランドのNATOおよび欧州連合(EU)加盟により、「ワルシャワで蜂起した人々の遺志が実現したのだ。自由な独立したポーランドが、等しい立場の国々との同盟のうちに安全と主権を回復したのだ」、とシュレーダー首相は述べた。

1944年8月1日に始まったポーランド地下軍の抵抗は、2ヶ月後ドイツの占領軍によって情け容赦無く鎮圧された。抵抗軍の死者はおよそ18,000人、民間人の死者は180,000人にも上った。ワルシャワはヒトラーの命令により完膚なきまでに破壊され、生き残った人々もほとんど市内から放逐された。

原題:Schroeder gegen Entschaedigungsforderungen an Polen




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