2015年12月29日(火)
フランクフルター・ルントシャウ紙(社説)
ホルガー・シュマーレ記者
1年前、アンゲラ・メルケル首相はEUの大部分から冷血な女性と見られていた。たとえばギリシャに対する耐え難いほどの改革プランの強要である。これは決して共感を得られる役割ではなかった。現在は多くの人々がメルケル首相に正反対の姿を見ている。広い心で難民を受け入れる人間味あふれる首相である。しかし役割の変化にもかかわらず、変わらない点がある。メルケル首相率いるドイツはEU内で近年ないほど好かれていないことである。そのせいもあって、ドイツは欧州連合での指導的役割をほとんど発揮できずにいる。ドイツ主導のEU政策にそっぽを向く国もますます増えている。たとえば難民危機の緩和のためにEUの対外国境に難民収容センターを建設したり、ドイツなどに押し寄せる難民を加盟国間で公正に配分するという政策である。
こうした経緯の根本的な原因はドイツ自身によるもの、つまりメイド・イン・ジャーマニーである。とりわけ南のEU諸国はここ数年のドイツの政策を著しく連帯に欠けると感じている。ギリシャ、ポルトガル、スペインの左派政党の勝利は、常にメルケルのドイツに反対する投票結果でもあった。北の欧州が考えた社会的弱者を犠牲にしての緊縮政策に対する反対票である。そしてその北の豊かさは南欧に対する非連帯的な経済政策に基いているのである。
アンゲラ・メルケル首相のドイツはトリックに満ちたダブリン規定によって何年間も難民から免れてきた。救いを求める難民が突然ドイツの国境にも現れてから、ようやく難民宰相に変わったのである。それまでギリシャとイタリア沖の地中海での悲劇や両国の難民収容施設の状況がアルプス以北の関心を惹いたことはほとんどなかった。今にして分かった誤りである。ドイツが今求めている連帯は、ドイツ自身、過去数年間発揮していなかったのである。
加えて夏の終わりにメルケル首相が下した重大な決定がある。ダブリン手続きの停止とシリア難民に対する個別審査の停止ならびに国境の開放である。これは姉妹党であるキリスト教社会同盟(CSU)のホルスト・ゼーホーファー党首との協議だけでなく、欧州連合内の調整もないままの決定である。これが二番目の誤りである。自ら規則を破る者は、他者に規則の順守を求めることも難しい。二重道徳とも呼べるだろう。また他者に対する監督は、たとえそれが隣人愛の衣をまとっていても、いつも煩わしく受けとめられるものだ。
歴史家ハインリヒ・アウグスト・ヴィンクラーは、多くのドイツ人にとって1945年以降、自国の忌まわしい歴史のために欧州が一種の代償母国になったと指摘している。ドイツ人は欧州を理想化し、他の国民が違和感を覚えるような期待を欧州に投影した。その結果は、ドイツ人の失望と道徳上の責任転嫁であり、これは他の欧州国民には上からの監督と軽蔑として受け止められた。
しかし難民問題での多くの東欧諸国の態度は、有権者の多数と彼らの選ぶ政治家が欧州連合の本質について西欧の旧加盟国とはまったく別の考えを持っていることも明らかにした。西側はEUを平和と自由のプロジェクトとして創設した。これは戦中・戦後世代の人々を夢中にさせた目標であり価値観であった。しかし多くの東欧市民にとってEUは何よりも自由市場の経済成長プロジェクトであり、これまたしばしば社会的弱者の犠牲の上に成り立つものと捉えられた。ここからは熱狂ではなく拒絶が生まれる。社会的公平が価値として重視されないところでは、自由と民主主義もさほどの意味を持たず、むしろこれまで馴染んだ確実性を脅かすものと映る。
かつてキリスト教民主同盟・社会同盟のフォルカー・カウダー議員団長は端的にまとめた。「EUは今やドイツ語を話す!」すべての国は最後にはベルリンの命令を聞かねばならないというこの確信は、キリスト教民主同盟・社会同盟のみにとどまらない。これは同様の命令を受けた大多数の他の欧州市民の歴史的経験に照らして最悪の態度というだけではない。欧州連合の理念は、常にドイツの大国主義を囲い込むことにもあったからだ。
したがって今きわめて明らかなのは、ドイツがEUの危機の一部を成しているということだけでなく、その危機の解決の一部にならねばならないということである。そればかりか、EUをひとつに保ち、危機から救うことは、政治的な安定と強い経済を誇る欧州の最大国の高貴な義務である。それが自らの利益につながることは言うまでもない。しかしこれが成功するのはドイツがさらに自らの分をわきまえ、さらに歩み寄り、自由と民主主義ならびに社会的公正と人間らしさを掲げたEUの姿について説得力をもって語れる場合に限られる。統合への新たな情熱もそこから生まれるだろう。
原題:Die EU braucht neue Begeisterung