2002年5月18日(土) 『南ドイツ新聞』Sueddeutsche Zeitung
チェコのヴラディミール・シュピドラ副首相とのインタビュー
ミロシュ・ゼマン首相の激烈な発言後、放逐をめぐる対立はドイツ・チェコ関係に再び影を落としている。この問題は6月のチェコの議会選挙戦でもテーマとなっている。副首相を務め、新首相の候補でもあるヴラディミール・シュピドラはチェコの強硬な姿勢を弁明する。
南ドイツ新聞:
土曜日にニュルンベルクでズデーテンドイツ大会が開かれます。この催しに関心はありますか?
シュピドラ:
私はそれを周辺的現象と見なしています。私が特別な関心を向けるような性質のものではありません。
南ドイツ新聞:
それではズデーテンドイツ郷土会はあなたにとって政治対話のパートナーではないのですね。
シュピドラ:
この郷土会は私にとっては政治レベルの対話のパートナーとはなりえません。絶対に。
南ドイツ新聞:
それではどのようなレベルですか?
シュピドラ:
非政府組織間で歴史的な対話が行われる可能性は考えられます。しかし政府の一員としての私にとり郷土会はパートナーではありません。
南ドイツ新聞:
それはあなたが郷土会から何も期待していないということですか。たとえば融和のシグナルをも?
シュピドラ:
私の視点から見て興味を惹くシグナルは何もないでしょう。
南ドイツ新聞:
チェコのテレビではズデーテンドイツ郷土会のベルント・ポッセルト議長がナチの犯罪について謝罪を行いました。これはあなたの姿勢を変えましたか?
シュピドラ:
私の姿勢を変えることはできませんでした。なぜなら犯罪は実際に行われたのですから。疑いの余地はありません。
南ドイツ新聞:
ドイツのゲルハルト・シュレーダー首相はチェコ訪問を取りやめました。ドイツとチェコ両国は4年前から社会民主党政権ですが、どうして両国間の関係はこのように破局的なものになってしまったのでしょうか?
シュピドラ:
チェコとドイツの関係はきわめて良好です。二つの民主主義国家間の関係です。その一方、両国の選挙戦では内政上の戦略的観点をも考慮して決定される問題もいくつかあるのは確かです。それゆえ私はシュレーダー首相の行動についてコメントするつもりはありません。しかし、両国関係が破局的であるという表現にはとうてい同意できません。
南ドイツ新聞:
チェコのミロシュ・ゼマン首相のいくつかの発言、たとえばズデーテンドイツ人をヒトラーの第五列と呼んだ発言などは、状況を難しくしたのではないでしょうか?
シュピドラ:
歴史には取り返しがつかないという恐ろしい特性があるのです。第二次世界大戦と民主的な中欧圏の破滅という問題は、深甚な影響の及ぶ問題です。破局は凄惨を極めたため、大半の該当国の国民は今日でもなおあの時代を想起せざるを得ません。ですからこの時代はまだ「歴史」にほど遠いのです。ゼマン首相の発言は当時交わされた議論に対する反応なのです。ですが議論はすでに鎮静化しています。非生産的であることが明らかになってきたからです。
南ドイツ新聞:
しかしゼマン発言は事実関係として正しかったのでしょうか?
シュピドラ:
いかなる試みであれ、第二次世界大戦の結果とそれに基づく私たちの法秩序を変更したり弱体化したりしようとする試みをきっぱりと拒絶することは、正しいのです。
南ドイツ新聞:
「ヒトラーの第五列」というゼマン発言はドイツでは不審の念を引き起こしました。チェコでは自明の内容のように見えますが。
シュピドラ:
ええ、というのも私たちは彼ら(=ズデーテンドイツ人:訳注)が実際「第五列」だったと考えているからです。結局のところヘンライン率いるズデーテンドイツ党はチェコスロヴァキアを破壊するという目標を抱いていたのです。これを裏付ける証拠や文書は山ほどあります。このことを忘れてはなりません。
南ドイツ新聞:
話題をズデーテンドイツ大会に戻しましょう。主賓演説を務めたのはエドムント・シュトイバー首相候補でした。同候補の選挙戦での勝利を危惧なさっていますか?
シュピドラ:
私はエドムント・シュトイバーの勝利を危惧するものではありません。またドイツ・チェコ関係に悪影響が及ぶことも不安視していません。中欧諸国との関係を悪化させることがドイツの利益に適うとは思えないからです。
南ドイツ新聞:
エドムント・シュトイバーの圧力を受けて、ベネシュ布告の問題は初めてキリスト教民主同盟・社会同盟の選挙プログラムに取り上げられました。不快感を覚えませんか?
シュピドラ:
これは、チェコ共和国の明確な姿勢が見かけ以上に現実的であることを示すものです。私はこの反応を、1997年のドイツ・チェコ宣言で取り決められたラインに抵触するものと考えます。
南ドイツ新聞:
ドイツでは最近故郷放逐に関して論議が高まっています。新たなドイツの愛国主義を懸念されていますか?
シュピドラ:
ドイツは民主主義国家です。50年前からこれは証明されています。ドイツ連邦共和国は並々ならぬ政治文化を誇っています。ですから、モザイク画を構成する一つの小石を取り上げて、それで全体の状況を推量するならば、根本的な誤りを犯すことになります。正しいドイツ像は得られません。
南ドイツ新聞:
チェコ議会は決議文の形で放逐をめぐる新たな論議を拒絶しました。これに対するドイツでのきわめて否定的な反応をどう解釈されますか?
シュピドラ:
無理解によるものと考えます。決議は正しいものでした。見解は明確になり簡潔にまとめられました。決議は、事態がどの方向に進んではならないかを示したものです。これは大事なことです。
南ドイツ新聞:
それでもチェコ議会がいつの日か、ベネシュ布告のある部分が不正であったと宣言する可能性はあるでしょうか?
シュピドラ:
いいえ、私はその可能性はないと思いますし、そのようにはならないでしょう。
南ドイツ新聞:
それではズデーテンドイツ人の追放は正しかったのですね?
シュピドラ:
ええ。送還は必要でした。なぜならナチスドイツの無条件降伏で終わった大戦の後、再び戦争が起きるのを阻止せねばならなかったからです。数百万の犠牲者の名において戦勝国が果たさねばならない唯一の真の責務は、戦争が起こりえない状況を作り上げることだったのです。
南ドイツ新聞:
そのためにはズデーテンドイツ人が障害になったと?
シュピドラ:
ドイツ系少数民族は当時、紛争発生の可能性と同一視されていました。実際すでに発生源となりましたし、再びそうなる可能性も排除できなかったからです。大殺戮が起きた後、そもそも他に政治的にどのような解決の可能性があったでしょうか。私には想像できません。連合国の決定は正しかったのです。責務に相応しい決定でしたし、成果を挙げました。すなわち、この緊張の源はもはや存在せず、またこれによって中欧は安定したのです。正しい決定であり、政治的に先見の明のある決定であって、復讐などではありません。さらに言えば、戦勝国のドイツ連邦共和国(=西ドイツ:訳注)に対する支援は、平和の模範例です。私は勝者がこれ以上お行儀良く振る舞った例を知りません。
南ドイツ新聞:
放逐は平和の前提条件だったというわけですね?
シュピドラ:
ええ。平和解決の一部を成したのがドイツ系住民の送還でした。これは将来の平和の源の一つだったのです。当時の世代には平和を築く権利があり、今の私たちにはこの平和を揺るがす権利はないのです。
南ドイツ新聞:
にもかかわらずチェコは1997年の宣言で、個々のドイツ人に対し不正が行われたと認めています。これらの人々は人道的な象徴的賠償humanitaere Geste を受けるに値しないのでしょうか?ゼマン首相は放逐された反ファシストへの援助の可能性について言及しましたが。
シュピドラ:
私は誰であれナチスに対して闘った人々に敬意を払います。それがドイツ人ならばなおさらです。また、こうした人々のうち幾人かには不正が行われたことも、疑いを抱くものではありません。当然、人道的な象徴的賠償の余地はあります。
南ドイツ新聞:
少なくとも当時のチェコスロヴァキアにおける戦後の犯罪について調査が行われる必要があるのではないでしょうか?
シュピドラ:
それは当時の共和国大統領の特赦*)で片がついています。
南ドイツ新聞:
変更はないのですね?
シュピドラ:
勿論です。戦争はある日突然終わったのではありません。国は完全に破壊され、司法をはじめあらゆる組織が壊滅しました。ですから特赦が行われたのです。しかし特赦は当時も今日も犯罪行為に関係するものではありません。
南ドイツ新聞:
欧州議会ではベネシュ布告の問題をチェコのEU加盟と結びつけようとする動きがあります。危惧なさいますか?
シュピドラ:
欧州議会で繰り広げられている議論は非理性的です。なぜなら、同類の法律は戦後他の多くの国々にも残っているからです。たとえば財産剥奪が行われたデンマークや、ドイツ人送還が行われたポーランドについても論議の対象とすることができるでしょう。また賠償と補償の問題を解決した1952年のパリ条約も存在します。
南ドイツ新聞:
しかし欧州委員会もベネシュ布告を検討しはじめました。
シュピドラ:
私の考えでは、この件に関する欧州委員会の立場ははっきりしています。しかし決定的な問題は、誰が今ボヘミヤ地方の36万人の犠牲者‐そのうち8万人はユダヤ人ですが‐を交渉のテーブルに呼ぶことができるでしょうかという点なのです。犠牲者が自らの権利や自らの生命の回復を要求することが不可能である以上、ほかのどんな議論にも意味がないのです。
聞き手:ダーニエル・ブレッスラーとハイコ・クレープス
原題:SZ-Interview mit Tschechiens Vize-Ministerpraesidenten Vladimir Spidla
"Der Abschub war eine Quelle des Friedens"
Der sozialdemokratische Parteichef verteidigt die Vertreibung der Sudetendeutschen und kritisiert Unions-Kanzlerkandidat Stoiber
(仮)訳:中島大輔(C)
*)訳注:一連の布告のうち、「チェコ人およびスロヴァキア人の自由の回復をめぐる闘いに関係する行動の合法性に関する1946年5月8日の法律」(公布は同年6月4日)を指すと思われる。これは「1938年9月30日から1945年10月28日までに行われたチェコ人とスロヴァキア人の自由の回復をめぐる闘いに寄与することを目標とする行動、あるいは占領者またはその支援者の行為に対する正当な報復を目標とする行動は、たとえ他の現行規定で違法とされている場合でも違法としない。」(第一条)と定め、ドイツ人に対する犯罪的行為(殺害や放逐)を合法的としている。