2000年7月1日(土)
マンフレート・パントフェルダー (ベルリーナー・モルゲンポスト紙 論説)
欧州連合の発展に動きが見られた。シラク大統領のベルリン訪問後の新たな独仏力学がついに保守的なイギリス人を慌てふためかさせた。これまで二度の機会を見過ごした後(最後の機会は息子の誕生を理由に欠席)、トニー・ブレア首相は急遽ゲルハルト・シュレーダー首相を訪問することになった。
ブレア首相はジレンマに陥っている。ヨーロッパとの連結は逃したくないとは言え、同時に野党保守党および国民の反対に配慮して、すべての逃げ道は用意しておきたい。しかし、当初は島国の若き改革者と讃えられた首相にとって、この姿勢はほとんど得るところがなかった。欧州連合の賛同者には臆病と見なされ、欧州連合の反対者には、首相は15カ国のクラブでほとんど発言権がない、と嘲られる始末である。
ブレア首相は今後欧州連合において指導的役割を要求する。しかしそれは攻撃的な姿勢によってしか得ることはできない。なぜなら欧州連合はさらなる統合のプロセスにおいて、ためらいがちなイギリスと歩調を合わせることはできないからである。かつてマーガレット・サッチャー首相のような政治家が慎重に確保した特別な役割の時代は終わったのでである。
不可欠の機構改革は今年末に迫っている。機構改革ではイギリス政府がこれまでたびたび行使してきた拒否権も制限されることになる。ブレア首相のお気に召さないものの、ドイツ政府とフランス政府はいわば先駆者として前進する。
それゆえこの数日、EUの枢軸がたびたび話題にのぼっている。ロンドンーベルリン枢軸にブレア首相は期待をかけた。しかし今や主役はベルリンーパリの関係である。過去の歴史的概念、すなわち第二次世界大戦で破滅的な結果をもたらしたベルリンーローマ枢軸、後に東京を加えた同盟関係を引き合いに出しても、欧州の理念とは無関係である。パリ、ロンドンおよびベルリンの間には火花を散らすライバル関係が生まれている。しかしこれは共同の欧州には時代錯誤でしかない。
原題:Berlin - London - Paris: Blairs Dilemma
Von Manfred Pantfoerder
Berliner Morgenpost Meinungen