「国家連合から連邦へ−欧州統合の最終段階に関する考察」

2000年5月12日ベルリン・フンボルト大学におけるヨシュカ・フィッシャーの演説

中島大輔訳

        呼びかけ!

今から50年前のほぼ同じ日[註1]にロベール・シューマンは平和維持のための「欧州連邦」Europaeische Foederationのビジョンを発表しました。これをもってヨーロッパの歴史にまったく新しい時代が開かれたのです。ヨーロッパ大陸の数世紀は国家間の危うい均衡の時代でした。均衡は幾度となく崩れ、覇権をめぐって争う破滅的な戦争へと発展し、1914年から1945年までの二度の世界大戦でその頂点に達しました。ヨーロッパの統合はこうした歴史に対する回答でした。それゆえ1945年以降の欧州統合思想の中核は、1648年のウェストファリア条約以降成立した「力の均衡」、ヨーロッパの均衡システム、また個別の国々の覇権追求という原理を、それぞれの国々の存亡に関わる利害を密に結び合わせ、国民国家の主権の一部を超国家的な欧州の機構に委ねることにより、否定しようとするものでした。これは現在でも変わりません。

その後半世紀、ヨーロッパ、すなわちヨーロッパの統合プロセスは、すべての参加国および民族にとっておそらく最重要の政治的課題となっています。なぜならその成功または失敗、あるいはこの統合プロセスの停滞ですら、私たちすべての将来、とりわけ若い世代の将来にとって重大な意味を持つことになるからです。そしてまさにこの欧州統合のプロセスこそ、現在多くの人々の間で噂にのぼり、魂と顔のないブリュッセルの欧州官僚主義の官僚的計画とみなされるか、せいぜいのところ退屈な代物、それどころか最悪の場合には危険な計画と考えられているものなのです。

まさにそれゆえ、私は今日この問題に関し、ヨーロッパの将来像についてのむしろ原則的、構想的な若干の考察を公に披瀝する機会を与えられたことに感謝したいと思います。それゆえまたこの演説の間は、現実には不可能であると承知しておりますが、公の思考には時として制約のあるドイツ連邦外相および政府の一員としての立場を離れることをお許しください。しかし今日は、今後数ヶ月のヨーロッパ政策の現実的課題について皆様にお話するつもりはありません。すなわち現在行われている政府協議や、EUの東方拡大、あるいは今日明日にも私たちが解決しなくてはならない他の重要な問題などではなく、むしろ、現在の政府協議の枠を越えた今後十年以上先の、考えられる欧州統合の戦略上の展望について語ろうと思います。

したがってドイツ連邦政府の立場でなく、ずっと前から公に始まっている欧州統合の「最終段階」すなわち欧州統合の「完成」をめぐる議論に対する一つの意見であることをお断りした上で、根っからのヨーロッパ人およびドイツの国会議員としての立場から見解を述べるつもりです。それゆえ一層喜ばしく思うのは、先日のアゾレス諸島における非公式のEU外相会議[註2]の席において、議長国ポルトガルの唱導のおかげで、まさにこの欧州統合の最終段階のテーマに関し、詳細かつきわめて生産的な議論が長時間にわたって繰り広げられたことです。これは必ずや実を結ぶことでしょう。

冷戦の終結から10年が経ち、グローバル化の時代が始まろうとするさなか、目下ヨーロッパの問題と課題がひとつの結び目にからまり合い、既存の条件の下では解決がきわめて困難になっていることはほぼ一目瞭然でしょう。共通通貨の導入、開始されたEUの東方拡大、前欧州委員会の危機、欧州議会と欧州議会選挙の低い承認度、バルカン戦争と共同の安全保障・外交政策の発展。これらはこれまでの成果を表すのみならず、克服しなくてはならない課題をも同時に規定しているのです。

それゆえ、「ヨーロッパよ、いずこへ?」(クオ ヴァディス、オイローパ?)とわれわれの大陸がもう一度私たちに問いかけます。ヨーロッパ人がもし自分自身と子供たちのことを考えるなら、それに対する答えはさまざまの理由から一つしかありえないはずです。すなわち、欧州統合の完成まで前進あるのみ、です。後退のみならず、停滞したりこれまでの成果に安住することさえも、ヨーロッパに、すなわちすべてのEU加盟国およびこれから加盟しようとするすべての候補国に、つまりとりわけ私たち一人一人に途方もなく高い代償を負わせることになるでしょう。しかもこれは特にドイツとドイツ人に当てはまります。

私たちに課せられた課題は決して易しいものではなく、それは私たちの全精力を要求することになるでしょう。なぜなら私たちは今後十年間にEUの東方・南東方への拡大を基本的な部分で実現しなくてはならないのです。これは実質的に加盟国数の倍増をもたらします。また同時に、EUの行動能力を本質的に危機にさらすことなく、この歴史的課題を克服し、新たな加盟国を統合させるため、欧州統合という建物に最後の要石を組み込まねばなりません。すなわち政治的統合という要石です。

この二つのプロセスを併行して企画運営する必要性は、おそらく欧州連合創立以来の最大の課題と言えます。しかしどの世代もそれぞれの歴史的課題を選り好みすることはできません。今回も同じです。ほかならぬ冷戦とヨーロッパの強制的分断の終結が欧州連合およびそれに属す私たちにこの課題を課したのです。それゆえ今日でもこの課題には、ジャン・モネとロベール・シューマンが第二次世界大戦後に示したようなビジョン構想力と実務的実行能力が要求されるのです。そして他のほとんどのヨーロッパ戦争と同じく独仏間の戦争でもあった最後のヨーロッパ大戦終結後の当時と同様、欧州連合の最後の建築段階、すなわち東方拡大と政治的統合の完成においても、フランスとドイツが決定的な鍵を握ることになるでしょう。

聴衆の皆さん

二つの歴史的決定が前世紀の半ば[註3]ヨーロッパの運命を根本的に好転させました。第一はアメリカ合衆国がヨーロッパの一員に留まると決定したことです。第二はフランスとドイツが経済的な相互依存関係から出発して、統合の原理に結び付けられたことです。

欧州統合の理念とその実現とともに、ヨーロッパに、正確には西ヨーロッパにまったく新しい秩序が誕生したのみならず、ヨーロッパの歴史もその経過の中で根本的な転換を行ったのです。ためしに20世紀前半のヨーロッパの歴史を後半の50年と比較してみれば、私の言わんとすることがすぐにお分かりいただけるでしょう。ほかならぬドイツから見た観点がとりわけ教訓に富みます。なぜならわが国が欧州統合の理念とその実現に実際どれほど恩恵をこうむっているかが明らかになるからです!

このほとんど革命的とも言うべきヨーロッパの国家システムに関する新たな原理は、フランスとフランスの生んだ偉大な政治家ロベール・シューマンとジャン・モネに由来するものです。ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体の創設から域内市場と共通通貨の形成に至る、その漸進的実現は、その発展のあらゆる段階においてドイツとフランスの利害同盟を中心的基盤としています。この利害同盟はもちろん決して排他的な性質のものではなく、他のすべてのヨーロッパ諸国に対し常に開かれていました。そしてこの性質は最終段階への到達まで変わるべきではないでしょう。

欧州統合は驚くべき成功を収めました。しかし全体は歴史が強いたひとつの決定的欠陥を抱えています。統合は全ヨーロッパではなく、もっぱら西側の自由な部分にとどまっているという事実です。ヨーロッパの分断線は50年もの間ドイツおよびベルリンをまっぷたつに分け、壁と鉄条網の東では、それを抜きにしては欧州統合の理念が決して完成しないヨーロッパの不可欠の一部が欧州統合のプロセスに参加する機会を待ちわびていました。この機会はその後1989年から1990年にかけてヨーロッパおよびドイツの分断の終結とともに訪れました。

ロベール・シューマンは1963年の時点できわめて明晰に洞察していました。「我々は統一ヨーロッパを自由主義体制の国民の利益のみを目的に創立してはならない。東ヨーロッパの国民もこの共同体に加盟できるように構想せねばならない。彼らが今の桎梏から解放されたあかつきには、自らの共同体加盟と我々の道義的支援を請願できるような統一ヨーロッパを創立しなくてはならないのだ。我々は彼らに統一された同胞的ヨーロッパという模範を提示する義務がある。この統合へ向かう道のりの一歩一歩が彼らにとっては新たなチャンスとなろう。東欧諸国は、彼らが成し遂げねばならない改革において我々の援助を必要としている。我々の責務はその準備を整えておくことだ。」

ソビエト帝国主義の崩壊後、EUは東方に門戸を開かねばなりませんでした。さもなくば欧州統合の理念はおのずと空洞化し、最終的には解体してしまったことでしょう。なぜでしょうか。かつてのユーゴスラビアに目を向けてみれば、たとえいつどこでも同様の過激な展開を見せるわけではないにせよ、ひとつの必然的帰結が見えてきます。西欧に限定したEUならば、ヨーロッパの分裂した国家システムと絶えず関わり合わねばならなかったことでしょう。すなわち、かたや西欧は統合、かたや東欧はたえざる国家志向、連立の強制、古典的利害政治および国家主義的イデオロギーと対立という永遠の危険をともなう旧来からの勢力均衡システムです。上部秩序のない分裂したヨーロッパの国家体制はヨーロッパを絶えず不安定な大陸にすることになるでしょう。そして中期的視点では東欧のこの伝統的な対立線が再びEU内に移されることになるのです。そうなればほかならぬドイツこそ最大の敗北者です。地政学的現実は1989年以降欧州諸機構の東方拡大に代わる真摯な対案を許しませんでした。この事情はグローバル化の時代にあってはなおさらのことです。

欧州連合はこの真に歴史的な転機に対する答えとして、一貫して抜本的な変革プロセスを開始してきました。すなわち、

- マーストリヒトにおいて近代国民国家の三つの本質的主権、すなわち通貨、国内および国外の安全保障のうちの中核領域がはじめてもっぱら欧州機構の責任に委ねられました。ユーロの導入は経済的統合の頂点を意味するのみならず、同時にきわめて政治的な行為なのです。なぜなら通貨は経済的強さだけでなく、その通貨を保証する主権者の権力をも象徴するからです。政治的、民主的構造がいまだ成立していないところに経済と通貨の共同体化が行われたため、もしこの欠陥を私たちが政治的統合の領域で生産的に埋め合わせ、それによって統合のプロセスを完成させねば、EUの内部危機に結びつきかねない緊張の場が生まれました。

- タンペレで開かれた閣僚理事会[註4]は新たなる広範な統合計画に道を開きました。すなわち共通の法律と治安政策による共同圏の創設です。これにより市民のヨーロッパが手に届くところまで近づきました。しかしこの新たな統合計画の意義はそれにとどまりません。共通の法律は大きな統合エネルギーの展開に結びつくのです。

- ヨーロッパ諸国は、ほかならぬコソヴォ戦争の影響のもと、共同の外交政策の遂行能力を強化するため新たな手段をとりました。そしてケルンとヘルシンキにおいて新たな目標で合意しました。すなわち共同の安全保障・防衛政策の発展です。欧州連合はこれによりユーロに続くさらなる一歩を踏み出したのです。なぜなら通貨同盟によって解き難く、また経済政策的な存立基盤によって相互に結びついている国家が、外的脅威に対しても共同で対処せず、共同の安全保障政策もとらないなどということがどうして長期的に根拠を持つでしょうか。

- 同じくヘルシンキにおいてEU拡大に関する具体的計画が承認されました。[註5] その取り決めによれば、将来のEUの境界は若干の差はあれ、ほぼ定まったと言ってよいでしょう。欧州連合は拡大プロセスの終了時に27カ国、30カ国あるいはそれ以上になると予測できます。これは欧州安保協力機構(OSCE)の創立時の国の数[註6]とほぼ同じです。

私たちはこれによりヨーロッパで今、二つの大プロジェクトを平行して企画運営するというきわめて難しい課題に直面しているのです。すなわち、

1. できるだけ速やかなEU拡大。これは加盟候補諸国およびEU自身にとっても難しい適合問題を投げかけます。加えてEU拡大は私たち市民の間に不安や懸念を引き起こしています。自分たちの職場が危うくなるのだろうか?拡大によりヨーロッパは市民にとってますます見通しのつかない、理解できないものになるのだろうか。いかにこうした疑問に真剣に対処せねばならないとしても、私たちは不安視するあまり、決して東方拡大の歴史的次元を忘れるようなことがあってはなりません。なぜならこれは、数世紀にわたり戦争に翻弄されたわれわれの大陸を平和と安定と民主主義と繁栄のうちに統一する、またとない機会であるからです。

拡大はまさにドイツにとって国民的利害に関わる最高次の問題です。ドイツの次元および中央に位置する地勢という客観的条件に基づくリスクと誘惑は、同時にEUの深化を推し進めながら拡大をはかることによって長期的に克服できるでしょう。これに加えて、拡大は−EUの南欧への拡大を御想起ください−全ヨーロッパ的成長プログラムなのです。ほかならぬドイツ経済こそ拡大により事業と雇用の面で高い利益を得ることができると思われます。それゆえドイツは今後も速やかな拡大の弁護役を務めねばなりません。同時に拡大はヘルシンキでの決定に準じて慎重に遂行されねばなりません。

2. ヨーロッパの行動能力。EUの諸機構は6カ国を基準に創設されたものです。15カ国の現在でもすでに機能するのに困難をきたしています。EU拡大の開始にあたり、たとえ多数決決定の拡大という最初の改革手段が間近の政府協議においていかに重要な議題となろうとも、この施策だけではEU拡大全体に対し長期的には不充分でしょう。27カ国から30カ国に及ぶEU拡大が旧来の機構とメカニズムを抱えたEUの吸収能力を超え、深刻な危機を招来するという点に危険性があるのです。しかしこの危険は速やかな拡大に反対する根拠にはならず、むしろ、拡大の条件下でも行動能力が維持されるよう、諸機構の断固たる適切な改革を促すものであることを忘れてなりません。それゆえ、不可避のEU拡大の帰結は浸食または統合のいずれかになるのです。

聴衆のみなさん

この二つの課題を克服することが現在行われている政府協議の中心テーマです。EUは2003年1月1日までに新規加盟諸国を受け入れる準備を済ませておくことを自らに課しています。アジェンダ2000の終結後は次の拡大交渉に備え、機構上の前提条件を整えることが課題となっています。三つの重要問題の解決、すなわち欧州委員会の構成、閣僚理事会における票配分、とりわけ多数決決定の拡大は、拡大プロセスのスムーズな進展のためには避けて通れません。それゆえまっさきに解決の必要な実際的方策として、この件には無条件の優先順位が与えられます。

しかしいかにEUの将来のための政府協議が次の手段として中心的であれ、私たちは現在のヨーロッパの状況に鑑みて、将来の「大きな」EUがどうしたら機能できるか、そのためにはどのような形態をとらねばならず、どのように機能しなくてはならないかという問題について、拡大のプロセスの枠を越えたところで今日からでも思考を始めねばならいのです。これをこれから私は試みようと思います。

***

それゆえ、聴衆のみなさん、これから私が「外相」の立場をきっぱりと捨て、いわゆる「ヨーロッパの最終段階」のありかたについて、またどのような道程を経れば私たちがこの目標に近づき、また最終的に到達できるかについて、若干の考察を行うことをお許しください。またドーバー海峡の向こう側とこちら側のすべての欧州統合懐疑論者には、あわててセンセーショナルな大見出しを書き立てないようにお勧めしておきます。なぜなら、これは第一にヨーロッパの諸問題を解決するための個人的な未来のビジョンであり、第二に私たちはここで、現在行われている政府協議のはるか先の長期的なスパンを問題にしているのです。ですから誰もこれから述べるテーゼに恐れを抱く必要はないのです。

EU拡大は欧州連合の諸機構の抜本的改革を不可避のものと迫るでしょう。そもそもどうしたら30カ国の元首・首相を含む閣僚理事会を想像できるでしょうか。また30カ国によるEU議長職の持ち回りも。そうなれば閣僚理事会の会議はどのくらい時間がかかるでしょうか。数日でしょうか、あるいは数週間でしょうか。どうしたら今日のEUの機構組織で30カ国もの利害を調整し、決定を下し、なおかつ政策を遂行できるというのでしょうか。それによりEUが決定的に不透明になり、妥協がいよいよ不可解で奇妙なものになり、EU市民の間でEUの承認度がはるか氷点下に下がるのを、どうやって回避しようというのでしょうか。

疑問に次ぐ疑問ですが、これに対してはきわめて簡単な答えがあります。欧州連合が国家連合から、ロベール・シューマンがすでに50年前に求めた欧州連邦の完全な議会制度に移行することです。これは連邦内で実際にそれぞれ立法、行政の権限を行使できる欧州議会および欧州政府を意味します。この連邦は憲法条約に基づかねばなりません。

無論この単純な解決案に対してはただちに、実現の可能性がないとの批判があがることでしょう。「ヨーロッパは新しい大陸ではなく、さまざまの民族、文化、言語および歴史を抱えているのだ。国民国家は無視できない現実であり、グローバル化と欧州化が市民からかけ離れた超組織と顔のない俳優を生み出せば生み出すほど、人々は安定と庇護を仲介する国民国家にしがみつくことになろう。」

さてこうした異論のすべてに私も同意します。なぜならそれは正しいからです。それゆえ、既存の国家の諸機構と伝統に対抗して、またそれらを取り込むことなしに、政治的統合の完成を試みるならば、修復できない機構上の欠陥が生じることでしょう。そのような企てはヨーロッパの歴史的・文化的条件の前に挫折せざるを得ないでしょう。欧州統合が国民国家を先述のような連邦に取り込んだ場合にのみ、また国家の諸機構が価値を奪われたり消滅したりしない場合にのみ、このようなプロジェクトは、多大の困難にもかかわらず、実現可能なものとなるでしょう。言い換えれば、旧来の国民国家およびその民主主義に取って代わる新たな主権者としてのこれまでの欧州連邦国家europaeischer Bundesstaatの考えは、ありのままのヨーロッパの現実からかけ離れた人工的な構築物だったのです。欧州統合の完成は、ヨーロッパと国民国家の主権分割の基盤の上に行われる場合においてのみ、うまく構想できるのです。まさにこの事実こそが、現在いたるところで論議されながらもほとんど誰にも理解されていない「補完性」Subsidiaritaetの概念[註7]の背後にあるのです。

さてそれでは「主権分割」という概念はどのように考えればよいのでしょうか。申し上げたように、欧州は空(から)の政治的空間に成立するわけではありません。現在のヨーロッパのもう一つの事実を成すのは、さまざまな国民文化でありそれぞれの国の民主的な大衆です。場合によってはさらに言語境界で分かたれていることもあります。それゆえ欧州議会は常に二つの領域を代表せねばなりません。すなわち国民国家のヨーロッパと市民のヨーロッパです。これが可能になるのは、この欧州議会が実際にさまざまな国の政治的エリートを一つに束ね、なおかつさまざまな国の大衆を束ねられる場合に限られます。

私の考えでは、これはこの欧州議会が二院制を敷く場合にのみ実現できるでしょう。第一院は選挙で選ばれた議員で占められます。この議員は同時にそれぞれの国会の構成員でもあります。こうすればそれぞれの国会と欧州議会の間、すなわち国民国家と欧州の間に対立が起こることはないでしょう。第二院は、直接選挙によって構成国から選出された上院議員による上院か、あるいはわが国の連邦参議院と類似の国家議院のいずれかを選択することになるでしょう。アメリカ合衆国ではどの州も二人の上院議員を選出します。これに対しわが国の連邦参議院では州ごとに票数が異なります。

ヨーロッパの行政機関、すなわち欧州政府についても同様に二つの案があります。閣僚理事会を欧州政府に発展させる案、つまり各国の政府から欧州政府を形成する案と、もうひとつは今日の欧州委員会の構成から出発し、広範な行政上の権限を備えた大統領の直接選挙に移行するという案です。しかしこれに関してはほかにも種々の中間形態が考えられます。

このように述べると、ヨーロッパはすでに現在でもあまりに複雑で、欧州連合の市民にとって見通しのきかないものになっているという批判があがることでしょう。しかし意図しているのはまさにその反対なのです。欧州連邦と国民国家の主権分割は、どの事項を欧州が、またどの事項を今後も国家が規制するかを明確に定める憲法条約を前提とします。EUレベルの規定の多数はモネの手法による帰納的共同体化の成果であり、今日のEU国家連合EU Staatenverbundの国家間の妥協の表現です。欧州憲法条約における欧州連邦と国民国家の間の明確な権限規定は、中核的主権および必ず欧州レベルで規定しなくてはならない必須事項のみを欧州連邦に委ねることになります。しかしそれ以外は国民国家の規定事項となります。これはスリムでありながら行動能力のある欧州連邦をつくります。連邦は完全に主権を保持しながらも、連邦の構成要素としての自覚的な国民国家に依拠するのです。さらにこれは市民にとって見通しがきき、理解できる連邦を意味します。なぜならこの連邦は民主主義の欠陥を克服しているからです。

しかしこれらのことが国民国家の廃止を意味するわけではありません。最終的な連邦の主体にとっても、文化的および民主的伝統を備えた国民国家は、人々から完全に受け入れられる市民・国家連合を正当化するためには、かけがえのない存在であるからです。このことを私はほかならぬイギリスの友人を視野に入れて語っています。なぜなら私は「連邦」Foederationという概念が多くのイギリス人にとって神経を逆撫でする言葉であることを承知しているからです。しかし今日まで私には別の概念が思いつきません。この言葉で誰かを刺激しようと考えているわけではないのです。

ですからヨーロッパの最終段階においても、私たちはイギリス人でありドイツ人でありフランス人でありポーランド人です。国民国家は存続し、欧州レベルではドイツにおける連邦州の役割を遙かに越える重要な役割を保持することになるでしょう。そして補完性の原則はこのような連邦において将来は憲法のような地位を占めることになるでしょう。

三つの改革、すなわち民主主義の問題の解決、ならびに水平方向および垂直方向における抜本的な権限再規定の必要性、つまり水平方向は欧州の諸機構の間であり垂直方向はヨーロッパと国民国家と地域の間ですが、これらの三つの改革はヨーロッパの機構上の新設によってしか成功しないと思われます。すなわち、基本権、人権、市民権の保証、欧州の諸機構間の均等な権力分立の保証、および欧州レベルと国民国家レベルの厳密な権限分割の保証を中核とする欧州憲法プロジェクトの実現です。その場合、そのような欧州憲法の主軸を成すのは欧州連邦と国民国家の関係となるでしょう。誤解されないように申し上げておきますが、これは国民国家への権限返還などとは何の関係もありません。その反対です。

聴衆のみなさん

さてこうなると次のような質問がいよいよ緊急に問われることでしょう。この連邦構想はこれまでの統合の手法で実現可能なのか、それともこの手法自体、これまでの統合プロセスの中心的要素として、問い直されねばならないのだろうか?

これまで過去に至るまで、欧州の諸機構と政治において共同体化の端緒を含む「モネの手法」が基本的には欧州の統合プロセスを主導してきました。最終段階の青写真のないこの漸進的統合方法は、1950年代に小規模の国家グループを経済的に統合するために構想されたものです。この統合の発端がいかに成功を収めたにせよ、政治的統合とヨーロッパの民主化を実現するためには限定的にしか適合していないことが明らかになりました。それゆえ、すべてのEU加盟国の前進が不可能な分野では、経済通貨同盟やシェンゲン協定のように、その都度異なる構成で一部のグループが先行することになったのです。

それではこのような分化、すなわち部分領域における一層強化された協力に拡大と深化という二重の課題に対する回答があるのでしょうか?拡大後の必然的に不均質の欧州連合こそ、さらなる分化が不可欠となるのです。それゆえこれを容易にすることも政府協議の中心目標の一つです。

もちろん、分化の進行は新たな問題をももたらします。欧州のアイデンティティーの喪失、内的統一性の低下、ならびに EUの内部侵食の危険性です。つまり統合という枠の隣にますます広範な政府間協力の領域が並立するという事態によって引き起こされる問題です。自らの論理の枠内ではもはや解決不能と思われる「モネの手法」の危機は、すでに現在でも看過できないほど顕在化しています。

それゆえ、ジャック・ドロール、ヘルムート・シュミット、およびヴァレリー・ジスカールデスタンは最近このジレンマを解決する新たな答えを見出そうと試みました。ドロールの考えは、ECの創立6カ国から構成される「国民国家の連邦」Foederation der Nationalstaaten が欧州諸機構の抜本的改革を目標に「条約内の条約」を締結するというものでした。シュミットとジスカールデスタンの構想も、創立6カ国の代わりにユーロ加盟11カ国を中心に発足するという点こそ異なれ、同様の方向を目指していました。1994年の段階でカール・ラーマースとヴォルフガンク・ショイブレは「中核ヨーロッパ」の創設を提案していました。しかしこれには致命的な先天性欠陥がありました。つまり、すべての国に開かれた統合磁石の代わりに排他的な「中核」を構想していたことに加え、EC創立国のイタリアを除外していたことです。[註8]

東方拡大という不可避の課題の前に、EUの進む道が実際に侵食あるいは統合かという二者択一であるならば、また国家同盟に固執することがありとあらゆる否定的結果をともなう停滞を意味するとしたら、現在の状況とそれによって引き起こされる危機を圧力に、EUは次の十年以内にいつか次のような二者択一に迫られることでしょう。加盟国の多数が完全な統合へと踏み出し、欧州連邦を創設するための欧州憲法条約に合意するのか、あるいは、これが実現しない場合、加盟国の比較的小さなグループが先駆者としてこの道を先行する、つまり数カ国が重力の中心を形成し、欧州に対する強い確信から政治的統合を先導する準備と条件を整えているかのいずれかでしょう。あとはそのための正しい時期はいつか、どの国が参加するのか、そしてこの重力の中心は条約の枠内あるいは枠外で形成されるのか、という問題のみです。ただ一つだけ確かなことがあります。ドイツとフランスの緊密な協力なくしては今後ともいかなる欧州プロジェクトの成功も望めないであろう、ということです。

このような状況を踏まえて、ヨーロッパのさらなる発展をはるか十年以上の先を見越し二つないしは三つの段階で想像できるかもしれません。

第一の段階は、すでに経済通貨同盟やシェンゲン協定で実現しているように、他の国以上の密接な協力を望む国々の間における強化された協力関係の構築です。これにより私たちは多くの領域で前進が望めます。すなわち、ユーロ11カ国の経済政治同盟への発展、環境保護、犯罪の撲滅、共同の移民・難民政策の発展、無論外交・安全保障政策の分野も然りです。その際きわめて重要なのは、強化された協力を統合からの離反と捉えてはならないということです。

政治的連合の完成へと至る、考えられる中間段階は、重力の中心の形成かもしれません。このような国家グループは欧州連邦の憲法の細胞核となる新たな欧州基本条約を結ぶことになるでしょう。そしてこの基本条約に基づいて独自の機構制度を創設することになります。すなわち、EU内にあってできるだけ多くの問題に関してグループの構成国の声を一票で代表する政府、強い権限を持った議会、直接選挙による大統領です。このような重力の中心は先駆者、すなわち政治的統合の完成を導く牽引車となり、後の欧州連邦のあらゆる要素を先取りすることになるでしょう。

さて私は現在のEUに鑑みて、このような重力の中心がもたらすであろう機構上の諸問題を良く理解しています。それゆえ、EUの成果を危うくしないこと、EUを分裂させないこと、またEUを一つにまとめている紐帯を政治的にも法的にも損なわないようにすることが決定的重要性を持ちます。大きなEUにおいて摩擦損失を生じずに重力の中心の協力が認められるようなメカニズムが考案されねばなりません。

どの国がこのようなプロジェクトに参加するのか、EUの創立国かユーロ加盟11カ国かそれとも別のグループなのか、という問いには今日の時点では回答不可能です。しかし、どのように重力の中心という選択を考察しようとしても、一つのことは明白です。この先駆グループは決して排他的であってはならず、すべてのEU構成国と加盟候補国に対し、これらの国々がある時点で加盟を希望した場合には開かれていなくてはならない、ということです。加盟を希望するもののそのための条件に欠ける国に対しては支援策が取られねばなりません。すべてのEU構成国と加盟候補国に対し、透明性と協力の選択を保証することも、このプロジェクトの承認度と実現性を高めるための重要な要素となります。これはとりわけ加盟候補国に対しても適用されねばなりません。なぜならヨーロッパがようやく再び統一されようとするまさにこの時、新たなヨーロッパの分断を招けば、歴史的に不合理であるばかりか、途方もなく愚かなことでもあるからです。

ですからこのような重力の中核は拡大に積極的な関心を持ち、他の国々を引き付ける魅力を放射しなくてはなりません。どの構成国に対してもその能力や希望以上に先に進むことを強いてはならない、しかし先に進む意思のない国もまた他の国を阻むことがあってはならない、というハンス・ディートリヒ・ゲンシャーの原則に従えば、この重力も条約の枠内で形成できることになります。それができない場合でも条約の枠外で作られるでしょう。

それに続く最後のプロセスは欧州連邦における統合の完成です。誤解を避けるために申し上げますが、重力の中心という形であれ欧州連合構成国の多数が即時に参加する形であれ、強化された協力から自動的にそこに至るわけではありません。強化された協力は現実の圧力とモネの手法の弱点に鑑み、まずはとりわけ強化された共同政府化Intergouvermentalisierungを意味することになるでしょう。これに対し、強化された協力から憲法条約−これこそが完全な統合の前提となるのですが−に至るプロセスは意識的なヨーロッパの政治的新設行為を必要とします。

聴衆のみなさん、これが私の個人的な未来のビジョンです。強化された協力から欧州憲法条約へ。またロベール・シューマンの偉大な欧州連邦理念の完成へ。これが将来の道程かもしれません!

ヨシュカ・フィッシャーの演説

「国家連合から連邦へ−欧州統合の最終段階に関する考察」

ベルリン・フンボルト大学にて

2000年5月12日

異同のある場合は演説を有効とする!

訳注:

[1] フランスとドイツの石炭・鉄鋼資源を超国家機関による共同管理に委ねるというシューマン・プランが発表されたのは1950年5月9日。欧州連合はこの日を「ヨーロッパデー」と定め祝っている。
[2] アゾレス諸島サン・ミグエルにおける非公式のEU外相会議は5月6日,7日に行われた。
[3] 「前世紀半ば」とあるが、この文脈で述べているのは今世紀、第二次大戦後のマーシャル・プラン等である。
[4] フィンランド第二の都市タンペレにおける特別閣僚理事会は1999年10月。
[5] ヘルシンキ欧州理事会の開催は1999年12月。
[6] 欧州安保協力機構の前身である全欧安保協力会議(CSCE)は1975年7月欧州諸国にアメリカとカナダを加えた35ヶ国で発足。
[7] 補完性原理 (Subsidiaritaetsprinzip, principle ob subsidiarity)を指す。EUの統合の深化と個別加盟国との利害を調整するためにマーストリヒト条約に盛り込まれた原理で、アムステルダム条約で具体的なガイドラインが示された。EUレベルで実施される共通政策は、各国が独自に行うよりもEU全体で取り組んだ方が効果的なものに限るという原理。(朝日現代用語「知恵蔵」2000、朝日新聞社刊、2000年、470頁より引用。)
[8] カール・ラーマース、ヴォルフガンク・ショイブレはいずれもキリスト教民主同盟(CDU)の政治家。1994年9月6日付けの朝日新聞は「『5ヶ国先行論』が再浮上」と題して、イタリアを除くこの先行統合案が9月初めに発表され、メージャー英首相やベルルスコーニ伊首相の強い反発にあっていることを伝えている。

解説

 昨年12月のヘルシンキ首脳会議でトルコを含む7カ国があらたに欧州連合の加盟候補国として承認され、すでに加盟交渉を行っている6カ国と合わせて、欧州連合は近い将来に現在の15カ国から30カ国近くに拡大する方向が定まった。

   しかし、あらたな加盟候補国との間で加盟交渉が始められる一方、受け入れる側の欧州連合の機構改革は遅々として進まず、今年12月のニース首脳会議における合意への展望が開けぬままである。欧州委員会の再編、多数決決定の拡大および閣僚理事会における各国への票の再配分を柱とする改革は、拡大の前提であり、構成国がほぼ倍増する拡大後の欧州連合が機能不全に陥らないための必須条件である。また、拡大と深化という水平方向と垂直方向の両方のベクトルから成る欧州統合を将来にわたって摩擦なく推進するためには、欧州連合と国民国家および地方自治体との権限分割を明確にする、最終的な欧州連合のビジョンが必要となる。

このような状況のもと、欧州統合の道筋を開いたフランスのシューマン外相の演説からちょうど50周年を迎えた5月、ドイツ連邦外相ヨシュカ・フィッシャー(緑の党)はベルリンのフンボルト大学において、将来の一層の欧州統合を展望する独自の「個人的ビジョン」を発表した。その要点をまとめるならば、

 - 先行統合を可能にする「重力の中心」

 - 国民国家との主権分割に基づく「欧州連邦」

という二つの段階的構想であろう。詳しい内容についてはあらためて繰り返すまでもないが、ここではこのビジョンが引き起こした激しい論議の一部をドイツのニュースなどから紹介しておきたい。

 フィッシャー演説はいわゆる欧州連合創設国の6カ国と欧州委員会からはおおむね好意的に受け止められたようである。ドイツ国内では連立与党はもとより、野党のキリスト教民主同盟・社会同盟(CDU/CSU)内からも評価する声があがった。ドイツ連邦議会のヨーロッパ委員会委員長のフリートベルト・プフリューガー(CDU)は、先行統合を進める「重力の中心」構想がかつてCDUのヴォルフガンク・ショイブレとカール・ラーマースが唱えた「中核ヨーロッパ」と類似の構想であることを指摘し、欧州政策を議論する上で「良い基盤」になると評価した。[註1]

 フランス政府もフィッシャー演説に好意的な反応を見せた。ドイツ外務省によればシュレーダー首相とフランスのヴェドリヌ外相は演説の内容についてあらかじめ通告を受けていたという。[註2]
ひとりシュヴェーヌマン内相がとりわけ「欧州連邦」構想について「相変わらずナチズムの逸脱から立ち直っていない」などと少々的はずれの批評を行ったものの、閣内の批判を浴び、ただちに発言を撤回することになった。[註3]
ただし、ヴェドリヌ外相は6月上旬、フィッシャー外相宛に公開書簡を送り、あらためて同外相の提案を評価しつつも、「欧州連邦構想」の議論がEU加盟国の間に意見の相違を生んだ場合の混乱を懸念し、「欧州の将来をめぐる論議の機は熟した。しかし拡大に必要な焦眉のEU改革を集中的に進めねばならないフランスの議長国期間中にはこの議論は不可能」として、早急の議論に入ることを戒めている。[註4]

 イタリアはディーニ外相が欧州連邦構想の支持を表明。「フィッシャー外相はその提案によって将来の欧州の形態に関するEU内部の議論を活性化させた」として高く評価し、EUに対してはフィッシャーが提案したような欧州の一層の政治的統合に関するガイドラインを速やかに検討するよう求めた。[註5]

  欧州委員会は総じてフィッシャーの提案を歓迎した。プローディ委員長はフィッシャーの構想が「欧州連合の将来の構成に関し、先を見通した興味深い道筋」を示している、と評価した。同委員長は「2002年の末までにあらたな加盟国の受け入れ準備を整えるために行う機構改革は端緒にすぎない。長期的視点に基づけば、われわれは根本的な政治的変革を行う必要がある。ほぼ30カ国へのEU拡大は、現在の政治とその遂行方法を基盤から考え直すことをわれわれに要求する。われわれは何が欧州レベルで、何が加盟国、地域、あるいは市民社会の役割なのかをあらためて問い直さねばならない」と述べ、フィッシャーと問題意識を共有していることを示した。[註6] また同委員長はこれより前「ル・モンド」紙に、「再び欧州の将来について考える時が来た」と語り、EUがフィッシャー提案を一層深く検討すべきであるとして「賢人」委員会などによる構想の厳密な定義の可能性に言及した。[註7]

 ただし欧州委員会の副委員長をつとめるスペインのロヨラ・デ・パラシオは、フィッシャーの提案が欧州議会と欧州委員会の完全な廃止を目指しているのではないか、との懸念から演説に批判的な姿勢を見せている。[註8]

  一方でイギリス、北欧諸国、アイルランド、ポーランド、ギリシャ、オーストリアはフィッシャー演説に対し否定的もしくは冷淡な立場を示した。

 イギリスの欧州大臣キース・ヴァズはBBC放送で、「欧州の将来は国民国家から成る大陸である。フィッシャーの発言がドイツ政府の立場を反映していないことはドイツ政府側から確約を受けている。政府の意見と一致しない個人的考えを披瀝する人間はいつでもいるものだ」などと厳しく批判した。[註9]

 フィンランド外相エルキ・トゥオミオヤは「フィンランドはEUを異なるグループに分割する考えを拒否する」と述べ、先行統合に対する反対の姿勢を明確にした。[註10]

 アイルランド政府のスポークスマンは「域内市場はうまく機能しなくてはならない。なぜならさもなくば共同体の利益が危険にさらされるからだ」と述べ、グループ化により欧州域内市場を「挟み割る」先行統合の考えに警鐘を鳴らした。[註11]

 ギリシャの外務政務次官エリザヴェト・パポツィは、ギリシャは欧州の統一を進めEUを真の政治的連合へと変革するあらゆる手段を支持する、と断りながらも、「ただし、それはそのような手段が加盟国の間に恣意的な差異をもたらさない限りにおいてである」と述べ、先行統合により「排他的クラブ」が生まれることを戒めた。[註12]

 オーストリア外務省のスポークスマン、ヨハネス・ペーターリクは、EUにおいてとりわけ小国が不平等な取り扱いを受けることに警戒を示した。[註13]

 ポーランドのバルトシェフスキ外相は、いわゆる大国が中心となって先行統合を進めることにより「EU内であらたなカーテンが引かれる」のではないかと「重力の中心」構想を含む種々の先行統合論に警戒を隠さない。[註14]

その一方、フィッシャーのビジョンに応える形で6月27日にはフランスのシラク大統領がドイツの連邦議会で演説を行い、フィッシャーの構想を踏まえ、開かれた「パイオニアグループ」による統合の推進を唱え、「欧州連邦」構想に代わる「主権国家連合」を提案した。最終的な欧州連合の形態こそ異なるものの、むしろ両者のビジョンには重なるところが多い。フィッシャー外相は「きわめて重要な演説」としてただちにこれを評価し、シラク大統領の「非常に重要な今後の指針となる演説」に自らの構想との「多くの共通点を見つけた」と述べ、耳と目のある者なら誰でも「フランス大統領が私の考えの及ばなかったところまで構想を進めている」のが分かるだろう、と指摘した。[註15]

  フィッシャーの演説は「個人的ビジョン」にとどまらず、9月はじめのエヴィアンにおける非公式EU外相会議ではじめて各国外相間の討議に付されたと伝えられる。またこの秋にはブレア首相も欧州の将来構想を発表する予定と伝えられており[註16]、フィッシャー外相がふたたび火を付けた、現在の機構改革の枠組みを越える将来の欧州のありかた関する議論はいよいよ高まりを見せることが予想される。これから12月のニースの首脳会議においてEUの機構改革が合意に至るまで、欧州の将来像をめぐる議論がどのように展開されるのか注目したい。

*依拠したニュースソースを次に示す:
[註1] Fischers Visionen loesen Kontroversen aus, Berliner Morgenpost, 5月14日
[註2] Joschka Fischer fordert Zwei-Kammer-System in Europa, AP, 5月12日 18:19
[註3] Die Entschuldigung am Tag danach, AP, 5月22日15:07
[註4] Vedrine draengt Fischer zu Vermeidung der Foederalismus-Debatte, ロイター,6月10日18:37および
Vedrine macht Fischer Vorschlaege in Sachen Europa, ドイツ通信社,6月12日11:18
[註5] Italiens Dini unterstuetzt Fischers Europa-Vision,ロイター,5月26日14:02
[註6] Fischers Europa-Visionen finden Wohlwollen der EU-Kommission, AP,5月21日15:05
[註7] Opposition stuetzt Fischers EU-Visionen grundsaetzlich, ロイター, 5月19日14:36
[註8] EU-Kommissarin besorgt ueber Fischers Vorschlaege,ドイツ通信社,5月12日11:10
[註9] Opposition stuetzt Fischers EU-Visionen grundsaetzlich, ロイター, 5月19日14:36
[註10] Fischers Europa-Vorstellungen stossen auf Kritik, ロイター,5月14日10:03
[註11] 同上
[註12] 同上
[註13] 同上
[註14] Bartoszewski: Polen braucht Termin fuer EU-Beitritt, 合同経済サービス,8月30日 18:33
[註15] Chirac fuer verstaerkte Zusammenarbeit in EU-Avantgarde, ロイター, 6月27日 18:12
[註16] 本稿の脱稿後、ブレア首相が10月6日ワルシャワにおいて将来の欧州連邦に関する演説を行ったことが報道された。それによれば同首相は、ヨーロッパは様々な文化やアイデンティティーを守り続けるべきであるとしてその多様性を擁護した上で、求められるのは自国の利害と公益の追求のうちに主権を調和させる、自由で独立の主権国家から成るヨーロッパなのであると述べ、EUが今後も唯一独自の超国家的連合にとどまることを主張した。
(Blair plaediert fuer europaeische Supermacht, ドイツ通信社, 10月6日 14:33)

 翻訳には緑の党のホームページ上(http://www.gruene.de/index2.htm)で公開されている講演原稿を用いた。(ドイツ連邦外務省のホームページにも掲載されている。)原題は次のとおり。

"Vom Staatenverbund zur Foederation - Gedanken ueber die Finalitaet der europaeischen Integration" (Rede von Joschka Fischer in der Humboldt-Universitaet in Berlin am 12. Mai 2000)

なお、この翻訳は2000年度前期に開講した「情報コミュニケーションU」の資料の一つとしてすでに受講生に配布したものに加筆修正を施したものである。