このページでは、竹岡 健一の主な研究テーマを紹介します。



写真は、2012年8月に、アジア・ゲルマニスト会議の会場となった
北京の九華山庄貴賓楼大酒店(ジウフア・パレス・ホテル)で撮影したものです。


現在の研究――「第二次世界大戦中のドイツにおける前線書籍販売とナチスの文芸政策」

 「前線書籍販売」(Frontbuchhandel)とは、第二次世界大戦下のドイツで、前線兵士のためになされた本の販売を指します。戦地の兵士にとって戦闘の合間の読書は数少ない娯楽の一つでした。そのため、文芸政策を司る政府機関と70以上の出版社が関与し、7500万冊以上の本が供給されました。しかし、どのような本がどのように販売されたのか、またナチスのイデオロギーとどのような関係にあったのかなど、詳細は明らかにされていません。
 そこで、本研究は、@前線書籍販売の関連団体、A前線書籍販売の実施状況、B前線書籍販売で販売された図書の内容的特色という3つの点を詳しく考察し、その結果を踏まえて、第二次世界大戦中のドイツにおける前線書籍販売とナチスの文芸政策のかかわりを明らかにするものです。それによって、ナチズムと文学のかかわりに関する研究に新しい局面を切り拓くことが最終的な目的です。本研究には、日本学術振興会の科学研究費補助金(基盤研究(C))の支援を受けています。
 これまでに、ライプツィヒのドイツ国立図書館で詳しい資料調査を行った上で、一次文献・二次文献の収集を行いながら研究を進め、次のような成果を発表しています。


 印刷発表
  1)第二次世界大戦下のドイツにおける「前線書籍販売」について――研究の意義と観点
    (「かいろす」の会『かいろす』第55号、20171125日、5668頁)
  2) 前線書籍販売の関連団体について――公的機関と民間の出版業者
   (九州大学独文学会『九州ドイツ文学』第32号、2018年10月31日、15〜29頁)

   3) 第二次世界大戦中のドイツにおける前線兵士への本の販売形式について
   (日本独文学会西日本支部『西日本ドイツ文学』第31号、2019年11月16日、15〜31頁)
 
4) 第二次世界大戦中のドイツにおける前線書籍販売の市場形態について
   (「かいろす」の会『かいろす』第57号、2019年11月16日、34〜48頁)

  5)
第二次世界大戦中のドイツ軍兵士の読書について――ナチスの文芸政策と娯楽的著作のかかわりに関する一考察
   (九州大学独文学会『九州ドイツ文学』第33号、2019年10月30日、59〜78頁)


 口頭発表
  1) 第二次世界大戦下のドイツにおける『前線書籍販売』について――概要と研究の観点
   (日本独文学会西日本支部学会研究発表会、2016年11月27日、於長崎大学)
  2) 前線書籍販売の関連団体について
   (日本独文学会西日本支部学会研究発表会、2017年11月26日、於山口大学)
  3) 第二次世界大戦中のドイツ軍兵士の読書について
   (日本独文学会春季研究発表会、2019年6月8日、於学習院大学)
  4) Ueber die inhaltlichen Charakteristika der Buecher im Frontbuchhandel
   (アジア・ゲルマにスト会議〔国際学会〕、2019年8月27日、於北海学園大学)


                           野戦郵便図書のポスター


                            

    ドイツ国内にいる家族らには、前線で戦う兵士に、野戦郵便で無料で送付できる「野戦郵便図書」を送ることが推奨された。
    画像出典:Saul Friedlander/Norbert Frei/Trutz Bendtorff/Reinhard Wittmann: Bertelsmann im Dritten Reich.
         Munchen: C. Bertelsmann Verlag 2002, Werbeplakate 12.




ドイツ家庭文庫とブッククラブに関する著書の刊行 

下記にあげたドイツ家庭文庫とブッククラブに関する研究を著書『ブッククラブと民族主義』としてまとめ、日本学術振興会の科学研究費補助金(研究成果公開経費・学術図書)の支援を受けて、2017年12月に、九州大学出版会より刊行しました。本書は、日本出版学会より、第39回日本出版学会賞(2017年度)を受賞しました。詳しくは、日本出版学会鹿児島大学のホームページをご覧下さい。また、本書については、鹿児島大学の広報誌『鹿大ジャーナル』(No. 210, 2019 Spring)でも紹介されています。 


                          『ブッククラブと民族主義』


                                



ドイツにおける「ブッククラブ」の研究 

「ブッククラブ」とは、出版社との独自のライセンス契約の下、書店を介した通常の書籍販売とは異なるルートで、本を安く製造・販売する団体であり、19世紀末以降の欧米で急速に発達しました。この書籍販売形式は、日本では普及せず、学術的研究もほとんどなされていませんが、ドイツでは、書籍販売の重要な一形式として、その発展と社会的役割の解明が進んでいます。そこで、2013年度から2015年度にかけて、「ドイツにおけるブッククラブの発展とその社会的役割」というテーマで、日本学術振興会の科学研究費補助金(基盤研究(C))の支援を受けて、研究を行いました。研究成果の概要は、次の通りです。

(1) 1945年以前のドイツにおける52のブッククラブについて、主に思想的な観点から7つのグループに分類され得ることを明らかにした上で、成立年、活動拠点、関連団体、会員数、活動方法、思想傾向、読者層、ナチズムとのかかわりを詳しく考察しました。このうち、活動方法の項目には、会員資格(入会金、会費、購入義務)、提供された図書の内容と装丁、図書の選択方法、会員雑誌、その他の提供品目、伝統的な書籍販売との関係などが含まれます。
  (2) ブッククラブと伝統的な書籍販売との対立に関する集中的な考察を行い、ブッククラブが、第一次世界大戦後の新たな文化的、政治的、社会的現実に適応する用意を欠いた伝統的な書籍販売に対する対案として世の中に受け入れられ、安価な本の提供と多様な本の提供というこれまでにない特色を通じて、伝統的な書籍販売の妨害にもかかわらずその対案として成長を遂げ、書籍販売において、伝統的な書籍販売と並んで重要な地位を占め、読書文化の確たる構成要素となったことを明らかにしました。
  (3) 1945年以後のブッククラブの発展については、1960年代から1980年代にかけてがドイツにおけるブッククラブの最盛期に当たることが明らかになったため、特にこの時期を中心に、ブッククラブの活動全般、提供図書、および同時代の評価について、詳しい考察を行い、同時期の書籍販売や読書文化におけるブッククラブの重要性を、種々の具体的なデータに基づいて明らかにしました。



                              ブッククラブのカタログ雑誌


                                     



「ドイツ家庭文庫」の研究 

 「ドイツ家庭文庫」といっても、知っている人はいないでしょう。しかし、20世紀における大衆教育や書籍販売の発展を考える上では無視できない存在であり、ドイツでは長期に亘って詳しい研究がなされています。そこで、
2010年度から2012年度にかけて、、日本学術振興会の科学研究費補助金(基盤研究(C))の支援を受けて、第一次世界大戦後のドイツにおける民族主義の高まりと文学のかかわりを、「ドイツ家庭文庫」の活動に基づいて解明し、ナチスによる文化政策とは異なる観点からナチズムの隆昌の原因の一端を明らかにし得る一つの研究モデルを提示するべく、研究を進めることが可能となりました。研究の成果は、おおよそ次のようにまとめられます。

 (1)まず、「ドイツ家庭文庫」の母体をなす「ドイツ民族商業補助者連合」の教育・出版活動について、連合内部で実施された「職業教育」、「一般教育」、「青少年教育」と、連合の下部団体である「フィヒテ協会」の活動を中心に考察し、「ドイツ民族商業補助者連合」の教育活動が1900年代初頭から一貫してドイツにおける民族主義的な信条の普及に貢献し、資本主義的大経営の発展とプロレタリア運動の高まりの中で身分の低下に対する危機感を強めていた商業職員に強い影響を及ぼし、彼らのナチズムへの接近をもたらしたことを跡づけ、それによって、ドイツにおいて因習的な中間層イデオロギーがナチズムと合流した過程の一端を明らかにしました。
 (2)次に、こうした「ドイツ民族商業補助者連合」の教育・出版活動の中核をなした読書共同体「ドイツ家庭文庫」については、同文庫の民族主義的な特色に関する集中的な考察を行ない、次のような成果を得ました。
 @1923年から20年間刊行された「ドイツ家庭文庫」の雑誌の変遷と記事を詳細に分析し、同文庫の雑誌が会員の間に「民族主義的な共同体意識」を形成するための重要な媒体であると同時に、新会員勧誘の有効な手段の一つでもあったことを明らかにしました。
 A「ドイツ家庭文庫」の本の装丁における「総クロス装」の重視が、同文庫における「民族主義的信条」の重視と密接に関連し、会員への「民族主義的な価値観」の指導の一部をなしていたことを明らかにしました。
 B「ドイツ家庭文庫」の図書提供システムを詳細に分析し、「自由選択」の拡大という「営利的」な手法が取り入れられる一方で、実際の購入においては「自由選択」の権利の放棄が強く要請され、会員の側も進んでそれに従っていたことを突き止め、同文庫の図書提供システムが、経済的利点よりもむしろ、「民族主義」に基づく同文庫と会員の固い志操的結束によって成り立っていたことを明らかにしました。
 これら(1)(2)の成果に基づいて、「ドイツ民族商業補助者連合」と「ドイツ家庭文庫」の活動は、すでにナチスやナチス政権の誕生以前より、保守的な商業職員を始めとするドイツ国民への民族主義的信条の普及に多大な影響を及ぼしており、とりわけ第一次世界大戦後のドイツにおけるナショナリズムの隆昌とナチス政権の成立に大きく貢献したと結論づけることができ、これによって、ナチスの文化政策とは異なる研究対象を通じたナチズム研究の一つのモデルを提示するという本研究の目的はおおむね達成されたと言うことができます。
 (3)ところで、このように民族主義的でありながらも、ナチスの活動と直接的なかかわりを持たない「ドイツ民族商業補助者連合」とナチスとの相違は、皮肉なことに、まさにナチス政権の成立によって表面化します。連合にとって、ナチス政権の成立はまさに、長年に亘る自らの民族主義的活動が奏功したものであり、この意味で、ナチス政権下で優遇され、より活発な活動への道が拓かれることが期待されました。ところが、こうして自律的な活動の継続・発展を望む連合と、ナチスの全体主義的な統制システムとの間には根本的な不一致があり、連合は、ナチス政権成立直後に「ドイツ労働戦線」に取り込まれた後、はやくもその翌年に解体されてしまったのです。これに対し、「ドイツ家庭文庫」の方は、意外にも、母体をなす連合の解体後もなお活動を継続・発展させることができましたが、そこにはこれをナチズムの普及に利用しようとするナチスの意向が働いており、それだけに、ナチス政権成立以後、「ドイツ家庭文庫」の出版活動はそれまで以上に強い反ユダヤ主義的、民族主義的、ナチス的な特色を強め、ナチスの宣伝媒体としての役割を強めて行きました。「ドイツ家庭文庫」に関する先行研究では、同文庫は1934年の「ドイツ民族商業補助者連合」の解体とともに活動を停止したと考えられていましたが、このように、同文庫がその後もナチス政権末期で活動を継続し、ナチスの政権維持に役立ったことを明らかにしたことも、本研究の大きな成果の一つと言えます。
 (4)以上のような「ドイツ家庭文庫」とナチズムのかかわりという本研究の本来の研究対象に関する研究成果に加えて、本研究の当初の射程を越える成果と言えるのが、「ブッククラブ」という新しい重要な研究対象の発見です。つまり、本研究の過程で、「ドイツ家庭文庫」と同じように、特定の会員を対象に本を安く販売する組織が、同時代のドイツに多数存在し、それらが通常「ブッククラブ」と呼ばれていること、またそれらについて、書籍販売の重要な一形式としてドイツでは多数の先行研究が見られることが明らかになったのです。そこで、本研究の一環として、ドイツにおける「ブッククラブ」の成立・発展、およびそれらに関する研究の観点を詳しく分析し、それを通して、「ドイツ家庭文庫」がその民族主義的な特性という点で、「ブッククラブ」の中でも特異な存在であることを明らかにしました



                         「ドイツ家庭文庫」の雑誌:『ハンザ同盟の書物の使者』と『かまどの火』


                                    



ヘルマン・ヘッセ全集の編集・翻訳


 『車輪の下』で有名なドイツの作家ヘルマン・ヘッセは、わが国では戦前より親しまれ、何種類もの「全集」が刊行されてきました。しかし、それらは実際には主な作品を集めた「選集」であり、しかも現在ではすべて絶版となっています。こうした状況の下、「日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会」では、より浩瀚な作品紹介を目指して、二つの「全集」を刊行しました。

 (1) 『ヘルマン・ヘッセ全集』(全16巻、2007年完結):ヘッセの文学作品を一点も漏らさず収録した「完全版」であり、これまでわが国で知られていなかった作品や草稿を多数含んでいます。

 (2) 『ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集』(全8巻、2011年完結)にも、ヘッセの人生や文学観を知る上で貴重な未公開の文章が多数収録されています。

 竹岡は、いずれの全集の刊行にも、編集委員および翻訳者として携わりました。また、、『ヘルマン・ヘッセ全集』は、2008年に、日本翻訳家協会より「第44回日本翻訳出版文化賞」を授与されました。

 なお、この二つの全集の出版にあたっては、臨川書店よりひとかたならぬご協力を頂いたことを申し添えます。


                  主に編集・翻訳を担当した『ヘッセ全集』第6巻、『エッセイ全集』第8巻、およびパンフレット


                                        



ルイーゼ・リンザー研究

 現代ドイツの著名な女性作家ルイーゼ・リンザー(1911〜2005)について、第三帝国時代の執筆活動を中心に考察し、一般にナチス抵抗者として知られるリンザーが、実際には一時期ナチスに強い共鳴を抱いていたことを明らかにしました。また、それを証明する上で、保守的商業職員労働組合である「ドイツ民族商業補助者連合」の雑誌『かまどの火』の記事に注目することにより、日本ではほとんどまったく知られていないこの雑誌が、第一次世界大戦後のドイツにおけるナショナリズムの高まりと文学のかかわりを考察する上で貴重な資料であることも明らかにしました。
 この研究に対しては、1996年度に文部省から研究助成(長期在外研究員)を受け、マールブルク大学を拠点に資料調査を行いました。その成果のうち、リンザーとナチズムのかかわりに関しては、2002年に日本独文学会のシンポジウム「ドイツ青年運動と文学」において、「ルイーゼ・リンザーとナチズム――青年運動という観点から」というタイトルで口頭発表を行った上、翌年の日本独文学会研究叢書020号『ドイツ青年運動と文学』に印刷発表しました。また、雑誌『かまどの火』に関しては、論文「雑誌『かまどの火』について――ナチズムと文学メディアのかかわりに関する考察の新たな手がかりとして」という題目で、2004年に日本独文学会機関誌『ドイツ文学』第116号に印刷発表しました。
 これらの成果は、最終的に、博士論文「ルイーゼ・リンザーとナチズム――20世紀ドイツ文学の一側面」(2004年、九州大学)として認められ、2006年に同じ題名で関西学院大学出版会より著書として刊行されました。

                著書『ルイーゼ・リンザーとナチズム』と日本独文学会研究叢書『ドイツ青年運動と文学』


                                     



現代ドイツの短編小説に関する研究

 第二次世界大戦後のドイツ語圏では、「クルツゲシヒテ」と呼ばれる短編小説ないし掌編小説が数多く書かれました。「切り取られた生の一片」と評されるように、短いながらもインパクトがあり、読んだ後にもあれこれと考えずにはいられないような、中身の深い作品ばかりです。そうした優れた短編小説の中でも、著名な作家によって書かれた選りすぐりの作品について、若者向けに解説したドイツの副教材を翻訳し、紹介しました。ライナー・ケネッケ『ドイツ短編 1945−1968年 ―12の作品と解釈―』(同学社)ですが、ランゲッサー、ボルヒェルト、ベル、ボブロフスキー、グラス、レンツ、アイヒンガー、ビクセル、ノーヴァクなどの典型的な作品を取り上げ、作者の経歴、作品の構造、語りの特色、メッセージなどについて、非常に詳しく論じられています。

                             『ドイツ短編 1945−1968年 ―12の作品と解釈―』